1   おはよう       PROLOGUE










朝のきらめきが、あまり上等でない宿の、古びたカーテンの隙間からのぞく。
きらめきとともに動き始めた朝の喧騒も聞こえる。
「兄さん、ほら、起きて」
 隣のベッドで眠る少年に声をかける。
が、兄さん、と呼ばれた少年は寝返り一つ打っただけでまだ寝息を立てていた。すやすやと立てる健やかな寝息は、まだ幼い少年のものだった。額近くまで被った毛布は、少年の顔を隠していた。が、白くなめらかな形の良い額と、生え際の豊かな細い金髪が、彼の知性と整った容貌を想像させるには十分な材料と言えた。
ふぅん、と小さな寝返をひとつ打つと、乱れた金髪が額にかかり、少年はうるさそうに軽く払ったが、起きる気配はなさそうだ。
「やーれやれ、ああもう、ホント兄さんは手が掛かるよね」
弟は呟き、もう一度声を掛けて揺すってみる。 何度か揺すられてようやく目が開いた少年はまだぼんやりしている。普段は寝つきは良くとも、声を掛けられて気付かない事はまずない。 だが、昨夜はさすがに眠れずに、うとうとしたのは明け方頃のようだ。 今日の目覚めの悪さは疲弊だけでなく、彼なりにきっと緊張をしているのだろう。
少年の瞳は金色だった。朝の光の中で薄く開いた瞳孔が、野生の小動物を思わせた。そのちいさな動物は、これ以上は開かないだろうというくらい、大きな口をあけて欠伸を落とす。
「…ああ、…もう朝か、ちぇ」
「兄さん。早くしないと遅れちゃうよ?」
弟の言葉に時計をちらりと見た兄は、うわ、やっべぇ、と、飛び起きると大車輪で支度を始めた。そして弟にまったくの筋違いの怒りを投げつける。
「…なぁ、おい、もっと早く起こしてくれよ!頼むから!」


ケースを抱えたビジネスマン、青い服の軍人、親子連れ、行商人、学生、旅人。 早朝の列車は様々な人たちで溢れかえっていた。 その中で一際目立つ二人連れがいた。少年と弟だ。
一番列車の二等車両の中ほど、固い木製の枠に嵌められたブルーの座席。二等列車の座席は小さくはないが、決して大きなものでもない。向かい合わせの四人掛け席に、かれらはひとりづつ収まり、向き合って座っている。
兄の年の頃はその躯つきからすると10歳位だろうか、俊敏そうで、きらきらと輝く金髪金眼が印象的な少年。
そしてその弟(もう一人を兄と呼んでいるから)は、大人の身丈をはるかに超す大きな鎧の姿だったから。
この組合せには、ちょっとした驚きと好奇の視線が集まった。 でも彼らはそれには慣れているらしい。そしてその中には単なる好奇だけでなく、明らかに不審者だろうという目で投げつけられた悪意の視線も混じる。そんな、ちらちらと向けられる揶揄するような視線に、わざと、にいっと笑って振り向いてみせる。すると悪意の視線を投げた方は、なにやらバツが悪くなって慌てて目を反らしてしまうのだ。どうやらなかなか度胸もあるらしい。
早朝の車窓風景に目をやりながら、二人でしばらく喋っていたが、そのうち、列車の規則正しい振動が 躯に伝わり、それは兄の方の眠りを誘ったようだ。
金髪の少年は欠伸をふたつみっつほど落とし、やがて座席にころんと横になると、膝を軽く曲げただけの少年の躯は、ブルーの座席に難無く収まった。
列車は黒煙を吐きながら、いくつかの山と谷を超え、いくつかの町を過ぎ、その目的地へと向かってただひたすら走った。


終着駅で列車を下りると、少年は自分たちの到着の知らせるべく、電話を探す。不慣れそうな手付きでありったけの小銭をがちゃがちゃを言わせながら投入し、コートのポケットからメモを取り出す。そして口の中で指の動きに合せて番号を読み上げる。
ジージージー…、間延びした音でダイヤルが戻るたびに鼓動がどくん、と大きくなった。そして電話は、少年の望みの先へと回線を繋げると、今度はツゥツゥツゥ…と短い呼び出し音を発し始めた。
唇を固く結ぶ。顔を上げた少年の金の双眸は強い決意で溢れていた。


駅舎を出ると、そこは彼らにとっては初めての大都会。ふたりには、建物は空まで届くかのように見え、何故こんなに人が溢れているのだろう、祭りでもあるのかよ、と思うくらい人がいる。美しい店舗が軒を連ね、豊かな品々が溢れている。そして向こうには一際大きくそびえたつ目的地がある。喧騒と好奇で目を丸くしながらも、電話で教えられたとおりに歩くと、やがて目的地に到着した。
自分には縁がなかった所。この先縁があるだろうとは思ってもみなかった所。 いま自分はそこにいる。
受付で名乗ると丁寧に案内された。すでに到着を伝えてあったのだろう。 いくつかの廊下を通り、角を曲がり、階段を上がり、少なからずの好奇の視線をくぐり抜け、 到着したその部屋の上には「司令部」とある。
やはりここでも驚きと好奇の目が集まるが、列車でのそれとはまた少し違う。それは主に兄の方に向けられているようだ。 背の高い男に、更にその奥の「執務室」に通され、ソファに掛けて待つように指示された。 少年は固くなった。 あの男には今の自分はどう映るのだろう。


大きなデスクで背中を向けながら電話を掛けている男。 この男が自分たちをここへ導いた。 漆黒の髪と夜の双眸を持つ男。 東方司令部の司令官であり、国家錬金術師であるこの男。 少年がその背中を見つめていると、ようやく電話が終わり、男が振り向いた。 黒い瞳がしばらく少年達を見つめていたが、ゆっくりと唇が動いた。
「おはよう、エドワード・エルリック。やっと来たな」







プロローグ
04/08/14 初回UP
05/01/23 加筆UP





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