11     手 帳 










装置は橋脚上部に設置されていた。 時限装置だけでなく、本体から伸びた細いコードが、隠すように線路と繋いであり、一定以上の負荷が掛かると作動するものらしい。要するに、何らかの理由で時限装置が作動しなくなっても、列車通過と共に爆発するようになっているのである。更には、これに気付いた軍が、撤去を試み処理班を差し向けても、彼らの体重で負荷が掛かる。そして、射撃による一瞬の衝撃にも。
…これは撃ち落さなくて良かった・・・全く何てものを設置したのだ!
男は冷汗を禁じえなかった。あらゆる場合を想定して、いずれにしても犠牲者が出るようになっているのだ。ここに最初に到着したのが、この小柄な少年であることを、男は信じてもいない神に、今だけは心からの感謝を捧げた。
線路を頭上に控え、足場の悪い橋脚部に辿り付いた二人は、慎重に装置の周りと、コードの連結先を確認すると、余計な振動を与えないように注意する。
「…鋼の。いきなり大きな錬金術は使うなよ。錬成反応で爆発するかもしれん」
錬成は等価交換が終わるまで(つまりは錬成反応が終了するまで)、対象物に負荷を与える。分りやすい物質重量的負荷と異なり、化学反応の負荷は何処に臨界があるのかが分らない。が、少年はそれもすでに危惧として見越していたのだろう。
「ああ、わかった。大佐、アンタこそ燃やすなよ」
こんな状況なのにエドワードは不敵な笑みを男に向ける。 だが時間との戦いだ。列車の音がもうここまで聞こえるようになった。二人は顔を見合わせる。
(まずいぞ、急がねば)
まず二人は慎重に負荷コードを外す。静電気の発生による負荷を与えないようにと、鋼の指先の少年は、コードに触れるのを生身の男に委ねた。替わって、少年は外れたコードの処理をする。 そして本体を更に慎重に外しにかかった。ブラックボックスのように内部構造が把握できないので、接合部を錬金術で少しづつ少しづつ剥がしていく。錬成反応が止まる度に爆発するのではないかという恐怖感。とてつもなく酷く時間が掛かると思える、この遅滞感。

まるで世界には自分たち二人しか存在しないかのように、全てが重く圧し掛かった。
無限に繰り返される声無き叫び。あと少し、もう少しッ…

近くに列車の音が大きく聞こえてきた。
「―― 急げ!!」
ロイは汗を拭いながらひたすら手元に集中する。
列車は直線部にかかってさらにスピードが上がったらしい。足元に伝わリ始めた微かな振動が、列車の接近を否応なしに知らしめ、それによる爆発の恐怖に、心臓が早鐘のように打つ。息が苦しい。
震える手元を懸命に押さえ、エドワードは、今度は生身の男に代わって、機械鎧の指先を本体と接合部の隙間にねじ込むように押し入れた。そしてそのままゆっくりと本体を持ち上げる。
男がそれを支えて、そっとカバーを外し、配線を辿った。二人を嘲笑うかのように、予想以上に複雑に絡み合う4色の配線。焦燥感で気が遠くなりそうに、重圧感で押し潰されそうになりながら、彼らはようやく起爆装置への接続配線を確定した。
「・・・これだ」

男が震える手で、それを切断したまさにその時。


凄まじい通過音と風圧で、特急列車が二人の頭上を過ぎていった。



列車が過ぎ去ったあとの静けさの中、息づかいだけが大きく響く。 永遠に続くかと思われた時間は終わり、気が付けば、照りつく太陽の下に二人はさらされていた。
通過風を避けて咄嗟に橋脚にしがみ付いていたエドワードは、ようやく顔を上げた。静寂の空白の後、耳に届く遥か足下の水音と、風のそよぎに、何事も起こらなかったのだと知った。男も同様に、辺りを見回すようにして己と少年の無事を確認する。彼らは無言で顔を見合わせた。
「・・・・・・」
そうして、全身汗びっしょりのエドワードは、安堵の溜息をつきながらロイに尋ねた。
「……止まったけど、これ、どうする…」
装置の中身は、時間の経過と共に既に混じってしまった薬品。それに起爆するようになっているのだろう。
「そうだな、装置は証拠品だが中の薬品だけはここで処理する。それを出来るだけ遠くに投げてくれ。 ただし、あまり揺するなよ」
男はそう言うと、汗でべたつく手に発火布の手袋をはめた。錬金術の顔になっている。
「なあ、それは燃やして大丈夫なのかよ?」
「多分。これを持って橋を渡る方が遥かに危険だろう。薬品が既に混ざってしまっている」
「分った…じゃ、いくぜっ!」
狭い橋脚の上、エドワードは慎重に、だが、渾身を奮って容器を投げた。容器は一度、彼らの頭上に飛ぶと、そこを頂点として放物線を描いて落下してゆく。男は焔を飛ばす。 しかし、男も思いも拠らなかったのだろうか、皮肉なことに起爆装置の発火より、高温の焔の方が更に強い化学反応を招いたらしい。届いた焔は想像以上に、はるかに強い爆発を起こしたのだった。 さらに爆発と同時に、渓谷から突然風が吹き上げ、橋脚の二人を化学反応による強烈な爆風が襲った。
「…うあっ!」
反射的に顔を両手で庇ったエドワードが、バランスを崩して橋脚に腰をうちつけ、よろめいた。
視界が斜めにゆらぎ、空中に向かって、小さな身体が大きく傾く。



夏の空がどんどん遠く高くなっていくのに、それなのに、金色の瞳は太陽の眩しさに射抜かれるようで。



(・・・)
自分に何が起こったかすぐには分らず、見開かれた目には、青空がゆっくりとしたコマ送りのように。
目端に映る濃い緑の山々は、何故か木々の葉の一枚一枚までをも鮮明に捉えることが出来る。
(…落ちる!!!)
その現実を認知した途端、コマ送りは一気に加速した。
「あッ…!」
寸前、咄嗟に伸ばした生身の片手は、打ち付けるような激しい痛みとともに辛うじて橋脚の端を掴んだ。育ちきらない五指に掛かるのは機械鎧の腕と脚を加えた己の重み。僅かな生身の部位に集中した衝撃に彼は耐え切れずに悲鳴を上げた。
ちきしょうッ、こんな、自分を支えられなくてどうすんだよッ!落ちて堪るか!くそ!・・でも、重い、重すぎる・・指が、残った指が、千切れちまう・・・
「―― !」
鋭い悲鳴を上げた少年に、男が顔色を変えて腕を伸ばし、僅かに端に見えている生身の手を掴んだ。が、宙ぶらりん状態のその体は意外に重く、少年の全体重が男の片腕に一気に掛かった。男も耐え切れずに絞り出すような呻きを上げる。
「うっ!」
「…た、大佐!」
当に落ちようとしてゆく少年に次第に引っ張られて、狭い橋脚部で腹這状態になった男は、片手で彼を、もう一方で自分をなんとか支えていた。夏の太陽に晒されて熱く爛れた鉄橋は、少年を支える掌と、押し付けられた頬を容赦なく焼いた。まるで焦げるのではないかと思う程の熱痛。
「…腕を、もう片方を伸ばせ!」
少年は必死で腕を伸ばし、男の手に両手で縋ろうとする。 だが谷風に体をあおられ思うように出来ない。振り子のように揺れる度に男の体もじりじりとずれていき、橋脚に強く擦られる。切りっぱなしの鉄索部に絡まった軍服の胸元が、次第に裂けていくのが男には判った。 やがてロイは額に脂汗を滲ませ、苦痛に顔を歪め始めた。 先の銃撃戦で、床に打ち付けた肩が…ああ、本当に、こんな時まで私は間抜けだ…!
「「「!!」」」
「兄さ…!」
装置を撤去出来たかと思ったのも束の間だった。ほんの僅かな間の出来事に皆が息を呑むが、却って事態を悪化させそうで迂闊には近づくことが出来ない。ただ手を拱いて立ち尽くすのみ。
「―― 私が行くわ。この中では一番身が軽い筈だから」
沈黙を破るような女性の声。 美しい額に汗を滲ませた副官。その汗は身の犠牲を覚悟で、状況を打破する為の苦渋の決意なのだろうか。
「…俺を離せよっ、アンタまで落ちるだろっ!」
苦痛に歪む男の顔に驚いた少年が、怒鳴りながら体を揺する。 その時、金色の目がひらひらと舞いながら落ちてきた白い物を捉えた。 羽根のようにゆっくりと次々に降って来ては少年の体をかすめ、谷へと落下する。
(!!)
それは男の胸元から落ちてくる。白い羽根は、紙切れ、いや、手帳のページだった。 裂けた軍服の胸元に入っていたのだろう。男の体と鉄索部の間で捻れて、ページが次々と外れていくのが見える。エドワードは顔色を変えた。

あれは、初めて知ったのはいつだったのか。軍属となってまだ浅い日、食堂でメモを書き付けている時だった。
――へえ、お前、女の子の名前を書いてるのかい? 何だよ、ソレ?誰の名前も書いてないけど? ああ、お前はまだ12か、なら分んないか。だから何のこと? ほら、見ろよ。
指を立てて少尉が指すのは、黒髪の上官が座って手帳を見ている、離れたテーブル。
――あれさ、付き合ってる女の名前と約束を書き付けてるって専らの噂だぜ。…クソッ、羨ましくて笑っちゃうねぇ。
その日は特に気にも止めなかった。だって、おんなのひとなんて別に興味無いから、そんな話はそのうち忘れてしまった。だが、それから何ヶ月か経った頃。許可書類のサインが直ぐに欲しくて、大佐を捜していたときだった。捜し疲れて座り込んだ廊下の片隅。人気の無い日溜まり。曲がり角の向こうから聞こえる微かな人声。そっと覗くと向こうには男が居た。自分と同じように座り込んだ姿で。
―― あっ、このヤロー、こんなトコにいたのかよ!
怒りに任せて、飛び出そうとした少年を止めたのは、男がふと見せた嬉しそうな微笑だった。 きらきらと黒い瞳を輝かせて、微笑む口元から零れる言葉は、確かに女性の名と、そして、紛れも無い化学式。膝の上には広げられた手帳。
…! 少年は、噂の手帳の中身を、一瞬で理解したのだった。

だって、あれは。皆は女の人との約束を書いている手帳だって笑って言うけど。俺は知っている。暗号だって。覚書なんだろ。研究の元になるんだろ。無くなっちまう。大事なものが。神聖なものが。やめろ、やめてくれ。頼むから俺の手を離せよ!
少年は心の中で必死で叫んでいた。掴まれた腕の痛みよりも、心が裂けるような苦痛だった。

「…離せっ!手を離せっ!俺を離せよ!このクソ大佐!!」
エドワードは大声で喚きながら、狂ったように体を揺すった。
「…頼むから大人しくしてくれ!う…あ…」
声を限りに喚きちらすうちに、目がぼうとかすみ始め、懇願する男の顔が徐々に遠のき、やがて少年は何も言わなくなった。頭を垂れて腕をぶらりと下げたまま、動かぬ身体を谷風に晒している。
「鋼の!おい!鋼の!!」
意識を失ったらしいエドワードの体はさらに重くなり、ロイの負担を一気に加速させた。
…これでは、私は、もう、… 腕ごと引き千切られてしまいそうな激痛に、男が限界を感じかけたとき。
「…おおっと…間に合いましたか。べっぴんさん、いや、大佐殿」
張りのある声が頭上から降ってきて、そして、逞しい腕が男の代わりに少年をがっちりと掴んだ。







2004 09/22 初回UP
2005 03/07 加筆UP





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