12     真 夏 日 










日焼けした顔に白い歯と人懐っこそうな瞳をきらきらと輝かせ、にこにこと愛想の良い笑顔を浮かべている男。 ロイを大佐殿、という割には軍人ぽくなく、避暑地帰りのようなお気楽な格好。 そして引き上げられたエドワードはぐったりと気を失ったままこの男の腕に抱かれている。
「・・・お前、・・・なんでここに」
鉄橋に寄りかかり、肩を押さえて荒い息を吐きながらロイは驚く。目の前に立つ陽気な笑顔の男は、確かに既知の相手だったから。
「…あのぅ、司令官にそう言われても困るんですがね。つい最近東方の支部に回されまして、処理班に。何も見つからないし、無線は妨害、通過の瞬間大佐がちらりと見えて、かすかに爆発音も聞こえましてね。で、後は部下に任せてカーブを狙って飛び降りたという寸法で」
大袈裟に、やれやれという表情で説明する。
そう言えば支部の人事異動通知があった気がする。過激派の件で頭が一杯でろくに読んでいなかったか。
しかし、彼が処理班で、この件に関わっていたとは思わなかった。・・・間抜けな話だ。
「…無線くらいお前が出ろ。しかし、相変わらず目と耳と勘の良い奴だ。身の軽さも変わらず、か」
腕の痛みなのか、男への不満なのか、露骨に眉根を寄せてぼやきながらも、ロイはこの男の鋭さと大胆さと見切りのよさに半ば感心していた。
「…アンタは変わりましたな。こんな物騒な現場に子ども連れとは…で、何です?このちっこいお嬢ちゃんは」
皮肉を交えたそんな言葉をさらりと吐いて、腕の中のエドワードに目をやる。ロイは渋い顔で男から目を背けると、落とすように呟いた。
「…それは国家錬金術師だ」
「はぁ?…あ、もしかしてこれがあの「鋼の」?…ですか?」
男は目を丸くする。ロイ=マスタングが見出した天才錬金術師のことを、耳にしたことはあった。それにしても、これ程若い男、いや幼い少年だったとは。小柄な身体と幼さの残る綺麗な顔立ちは、おおよそ重苦しい拝命に似つかわしくない。男は意外な面持ちで、瞼を落として動かない少年を凝視している。
ロイは横目で男と少年の顔を交互に見遣ると、肩を押さえたまま、呻き声と共に立ち上がって答えた。
「そうだ。私の下でもうじき2年近くになるか…」
「アンタ、無茶な仕事させてるんですね。俺たちにだってヤバイのに」
呆れと少量の怒りを交えた声で、男は東方司令官を睨む。全く大胆な男である。
「…そうかもしれん。いや、きっとそうだろう。事件の発端といい、全ては私が悪い」
「俺はそこまで言ってませんが…そうやって背負いたがるのはアンタの悪い癖ですぜ。…そこは変わりませんな、大佐殿」
無遠慮にずけずけ言われてもロイは何も言い返さなかった。ただ黙ってエドワードを見ていた。



「大佐!ああご無事で!」
肩にロープの束を巻きつけてホークアイが息を弾ませ、やっと辿り付いた。鉄橋の中ごろに立つ二人の男と、腕に抱かれた少年を見て取ると大声で叫ぶ。 そして、ロイの傍らに立つ男を認めた途端、ぴしりと敬礼を決めた。
「ランド少佐!大佐をお助け下さいましてありがとうございます!」
ランドと呼ばれたこの男は、答礼を返した途端、別人のように相好を崩す。
「うむ、ホークアイ中尉もご苦労。この子は俺が抱いていくから、中尉は大佐を頼む。肩を痛めているから支えて。…君は相変わらず美しいな」
最後の一言は聞こえなかったことにして、ホークアイは足場の悪い鉄橋を移動する為、腕の動かない上官を支えて歩く。汗びっしょりで裂けた軍服を纏う上官は、想像以上に酷く疲れているようだった。顔色も悪く、肩が相当に痛むのだろうか、無言でただ苦しげに眉根を寄せて、大人しく副官に身体を任せている。彼女の頬に掛かる男の黒髪からは汗と薬品の臭いがした。
無理も無いわ、大佐は突入の現場からずっと心の休まる間が無かったのですもの。焔の大佐だって、東方司令官だって、生身なのだから…。
(副官なのに・・・申し訳ありません…私も一緒に行けばよかった…)
男に怒られても無理にでもついて行くべきだったと、彼一人を危険に晒してしまったと、副官は今更ながらに後悔していた。
(私ならいつこの命を落としても構わないのに。でも…)
副官は腰の愛用の銃にそっと手を触れた。
「……」
かれらの後ろで少年を抱えた男は、小さなため息をついていた。

夏の終わりの太陽はまだ勢いを落とそうとはしない。



狙撃実行犯拘束、現場検証等を経て、その後、過激派からの動きは止まり、幹部逮捕に関する一連の事件は一応終息を迎えたとされた。
あれから何日経ったのか。朝からやたらと蒸し暑く、あの日のようになった日。事件に携わった軍部の人間として、報告書の提出を求められていたエドワードがやって来た。
ロイは相変わらず忙しそうだったが、まだ少し腕が痛むらしく、時折顔をしかめながら、デスクで各所からの報告書に目を通していた。ふとさした目の前の影に気付き、顔を上げた。僅かに目を細めると、目の前に立つ少年を意外そうな面持ちで見つめた。また来たのかといいたげな顔。
「…ああ、鋼の。もう大丈夫なのか。ところで報告書はできたのか」
少年は普段と変わらぬ憮然とした表情で、男を見返した。
「これ。」
少年は報告書を差し出し、男の様子を窺ったが、男は黙ってそれを受け取った。そしてぱらぱらとめくっただけで、横のトレイに置き、読みかけの報告書にまた目を落とす。沈黙が流れた。
「あのさ、大佐、オ…」
「ああ、すまん。もう行っていいぞ。不備があればまた連絡するから」
最後まで言い終わらないのに、男から顔も上げずに素っ気無く返された言葉。もうそれ以上は男から何も引き出すことが出来ず、取り付く島も無くエドワードは無言で執務室を後にした。
執務室を出ると後ろ手で扉を閉める少年に、デスクワークをしていた中尉が気付いた。金色の瞳は、なにか言って欲しそうな、縋るような目をしている。だが、彼女はそれを無視すると、また自分の仕事を再開した。
(…またかよ…)
エドワードは最近、居心地の悪さをそれとはなく感じていた。鉄橋で気を失って目を覚ました時、そこは司令部内の病室だった。ぼんやりと目に入ったのは、傍らの椅子に腰掛けた男だった。破れた軍服は着替えられていたが、包帯で巻かれた腕は肩から痛々しげに吊られていた。男は眼を覚ました少年の様子を確認すると、黙って部屋を出て行った。 それから事後処理の報告打ち合わせの為に訪れた時も、男はやはり口数少なく目を逸らしていた。自分をどこか無視したような男の態度。訳も解らず、ぶつける所のない苛立ちを持て余し、つい足音が荒くなる。
(ちきしょうッ!なんなんだよッ!)
心の中で苛立ちを叫んでいても、これを声に出したら泣いてしまうかもしれない。悔しさで潤む 目元を軽く拭いながら、廊下を歩いていると、通りかかった部屋から馴染みの声が聞こえる。声につられてひょいと覗くとハボックたちが帰り支度をしていた。彼らは軽口を叩きあいながら着替えをしていたが、半開きの扉から見える小さな金色の頭に気付いた。
「お?・・・よぉ、大将、来てたのか」
屈託なく向けられた言葉にエドワードはほっとする。…良かった。少尉たちは変わんないや...少年は嬉しくなって、いつになく言葉数が多くなった。
「少尉こそ、もう帰るのかよ…そうか、今日は早番か」
「ああ、これからちょっと遊びに行くんだが…そうだ、良かったら、お前も来るか?」
そう言われてつい心が動く。たまには違ったことをしてみたい。こんな気持ちで宿に戻ったって腐るだけだし、気分転換になるかもしれない。 それに少尉たちからこういう風に誘われるのは初めてだったか?
「…いいの?だったら行ってみたいけど、あのさ、アルもいいのかな?」
「おう、もちろんさ。図書館なんだろ。いっしょに迎えに行ってやるぜ」



遊びに行こうと言われてやってきたのは、地下にあるバーだった。 大通りに面した入口の、舗道に出ている店の案内を見て少年達は目を剥く。
「ここ?俺たち、きっと入れないよ。それにまだ明るい内から酒飲むのかよ?」
俺はまだ子どもだから、と暗に示して、階段を下りるのを躊躇っている。 ――なあに、大丈夫さ、とブレダは親指を立てて片目を瞑る。
「俺たちがいるから入れるさ。もう少ししたらバーだけど、今なら食事も出来るぜ、腹減ってないか?」
さあさあ、と背中を押されて入ってみると、見たことも無い雰囲気の店。旅先で雑然とした雰囲気の酒場兼レストランというのは知っているが、ここは違うようだ。戸惑う少年は促されて席に着く。
「たまにはいいけどよ、こういう雰囲気はどちらかってっと大佐が好きそうだよな」
やって来たビールを受け取りながらそう呟く。
「そういや大佐は今日も約束があるみたいだぜ…相変わらず羨ましい」
「…大佐ってこういう所によく来るの?」
大佐、という語につい反応する。
「多分な。ま、あの人は俺らと違って金には困って無いし、それに…大人だから」
最後の大人という語になにやら含みを持たせると、彼らは少年の顔を見て笑っている。注文したポテトパイをつつきながらエドワードたちは不思議そうに尋ねた。
「…大人?オレらから見れば少尉たちだって大人じゃん?」
年齢的にも身長からいっても、彼らも大佐も遥かに自分の上を行くではないか。
「ああ、そういうことじゃなくってさ。まあ、その内お前も判るさ」
(大人に種類があるのかよ?)
判ったような判らないようなはぐらかされたような逃げられたような。そうするうちにバータイムとなったのか、客も増えだし、店の片隅では女性がピアノの弾き語りを始める。装いの美しい女性が、旅先では聞けないような涼やかな声で綺麗な曲を歌いはじめた。
―― 何故気になるのか分らない。あんたなんてどうでもいいのよ、だってそんな筈じゃなかったのだから。 それなにのに私を揺らすのは止めて。分らなくなる。
美しい声が耳に届く。
食べ掛けのパイの上にフォークを放り出し、頬杖を付いている少年。ああ、これは女の人の歌だけど、よく分んねぇけど…何となく…分る…気が…する…。
歌詞を耳で拾いながら、エドワードはぼんやりと考えていた。何故俺はあんなにあの黒髪の男が、大佐が、気になるのだろう。あれは単なる上官兼後見人ではないか。恩義は確かにあるけど、俺は、その義理は果たしている筈だ、そう、十分に。なのに、なぜこんなに苛立つんだよ、クソッ…。少年は鉄橋でのことを思い出す。一緒に死ぬ可能性もあったのに、自分には目的がある筈なのに、あんなにも必死になった…。男も普段とは別人のように俺を求めていたのに…それなのに、何故あんな態度を取られないといけないのだろうか。一体自分の何が男の気に入らないのか…
「―― いっちょまえに聞き惚れてるじゃねぇか?」
その声にエドワードが顔を向けると、少尉が笑っている。気が付くと曲は終り、次の曲へと移っていた。今度は流れるような優しい歌。先程までの苛立ちは何処かへいってしまいそうな曲。
ゆったりとした雰囲気の店と落ち着いたきれいな大人の客たち。少年には初めての経験。 僅かながらでも、自分の知らない世界を覗いたようでなんだか段々と心が弾む。
おう、いい顔してるじゃねぇか、どうだ、たまにはこんなのもいいだろ? 途端にエドワードは口を尖らす。
「…それってどういう意味だよ」
「おいおい。最近のお前は笑ってても目が笑って無くてさ。ちょい怖かったぜ」
(…あ、そうだったか?だったら誘ってくれたのは俺の様子に気付いて気遣ってくれたんだろうか)
そう思ったが、いつもと同じ調子のハボックたちには、いかにも気遣いしてます、という様子は微塵も感じない。 同じ軍人でも彼らの前なら気楽でいられるのに、あの男の前だと息が付けない時がある。同じ息をしようとすればするほど胸が苦しい…。


「…あれは帰ったのか」
残業を片付けた男が、思い出したように副官に尋ねる。あれから夢中で仕事をしていて、時間が過ぎたのにまるで気付かなかった。
「ええ、もうとうに。ああ、そういえば帰りが少尉たちと一緒だったようですが…」
そうか、彼にもう行って構わないと告げたのは自分だった。珍しいが、遊びにでも行ったのか…きっと少尉たちくらいの年回りがあの少年にはちょうど良いのだろう。思えば自分は、彼には大人の部分を求めてぶつけるだけで、歳相応の扱いをしてやった事など殆んどなかったのではないだろうか。
少年の報告書はつい先ほど目を通した。字は上手くないが、理路整然とした報告書で、13やそこらの少年が書いたとは思えない出来栄えだった。そう、彼は私の求めるものをいつも返してくるではないか。それなのに、何故だろう、読みながら湧き上がったあの苛立ちは。名残の真夏日のようにじりじりと刺すような不快感は。
「大佐…」
少年のことを考えているのだろう。伏目がちの上官をそっと見遣ると、中尉は息を吐いた。



ひとときの楽しい時間が終って宿に帰りつくと、少年は弟とは別の部屋に別れた。たまに別の部屋にするのだが、今夜は却って助かった。胸に残る息苦しさに気付かれたくない。皆で居る時は良かったが、ひとりになるとまた息苦しさが零れてしまうかもしれないから…
あの時も。物言いた気に唇を動かそうとしていた彼は、病室を去る男の後姿に、抉られるような感覚を捉えた。
そしてエドワードはベッドで毛布を頭から被ると、耐えるように、声を押し殺して泣いたのだった。分からなかった。なぜ自分は泣くのか、と。

エドワードは窓を開けて外を見やる。気が付けば随分長い時間店にいたせいか、通りの向こうの建物の多くの窓は、既に灯りが落ちている。開いたままの窓辺で白いカーテンがわずかに揺れるだけ。今日は夏日になった為か、夜風は生温く、それでも風に身を委ねながら、少年は長い間、ぼんやりと窓に寄り掛かっていた。



時折、犬の遠吠えが聞こえ、夜のしじまの向こうに青白い月がくっきりと見えた。








04 09/27 初回UP
05 03/20 加筆UP





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