13   花 










よく晴れた週末。
エドワード、アルフォンス、ロイ、の三人は地方行きの車中の人となっていた。




事の起こりは5日程前。ホークアイが司令部気付ロイ=マスタング宛の手紙を手にしたことから始まる。




「なんだ、郵便物は君に任せてあるだろう」
「いえ、これは私信のようですので」
ほう、と男は急いで封を切り、手紙を丁寧に読むとホークアイに告げた。
「中尉、頼みと相談があるんだが。まずはエルリック兄弟をすぐにここに呼んでくれ。宿か図書館にいる筈だから。それと私の仕事も至急調整するように」
しばらくして男の元に少年たちがやって来た。特にエドワードはぶすっとした顔で不機嫌を出している。それもそのはずで、図書館で新しい本を見ようと思っていたのに、東方司令部からのお電話です、と呼び出されたのだ。
あぁ?今度は何だよ、勝手な時だけ人を呼び付けやがって。少年は執務室に入った時から男をねめつける。眦がきりりと釣りあがって、こどもとは思えぬほどの眼力があった。その傍らで弟は内心冷汗をかいていた。兄は気に入らないものはとことん気に入らないし、特に大佐に対しては、相当嫌っている節がある。
「…なんだよ、至急の用件って」
このところロイに冷遇され続けているエドワードは不愉快さを隠そうともしない。露骨に嫌な顔をして感情をぶつけている。が、男は今まで少年に余所余所しくしていた事など忘れたかのように、さらりと告げる。
「急にすまない。君たちに頼みがあるんだが。是非とも承知して欲しいのだが」
「…それって、結局また命令だろが。だからなんだよ」
頼みだなんて、是非ともだなんて、一見表向きは腰が低いが、どうせろくでもないことを無理矢理承知させられるのだ。少年は山猫のよう毛を逆立てて、警戒心を剥き出しにしている。承知してやってもいいけどただでは済まないぜ…そういいたげな金色の瞳。
二人の間に沈黙が流れた。男は身動ぎもせずに立っている少年の瞳を見返していたが、窓から入った初秋の風が、男と少年の髪をふわりと撫でる。風に乗っているのは微かな花の香り。男の緩んだ口元に、ふと微笑みが浮び、そこからは、あまりにも意外過ぎる語列が落ちた
「…私と旅行して欲しいんだが」
顎の下で手を組んだまま男が少年を見る。
「はあぁ?!」
アルフォンスとエドワードは顔を見合わせそれから同時にロイを見た。天才と言われる程の頭の回転を持つ少年も、さすがに意味が分らないのか、口を半開きにして瞠目している。男は続けた。
「招待状が来たんだよ」



それからは慌しかった。何故アンタと俺が旅行なんだよ?という問いと少年たちの都合はやはり無視され、中尉は予定の調整と男の留守中の手配に追われ、軍部の面々は青天の霹靂ともいうべき珍事に目を剥いた。

車中、アルフォンスは誰かに招待されたこと自体が嬉しいらしく、声が明るく楽しそうな様相だった。 当のエドワードはというと、相変わらず憮然とした表情で黙って横を向いている。そんなエドワードを見て男は思う。
(彼と旅するのは国家試験の為にセントラルへ行った時以来だったか)
この少年は変わらない。近いようで遠くに居る少年。だが、テロ事件以来、多少なりともこの少年が見えるようになったと男は思いたいのだが…。
やがて列車は南部の大きな駅に到着した。


「ふわぁ、デカイ家、いや、すんげぇ庭だなー」
二人は目を丸くする。 街中から少し外れただけなのに、広大な庭が広がり、続く小道の向こうには、古いが小奇麗な屋敷が建っている。 田舎育ちの二人にとって、野原も森も庭の一部のようなものだったが、個人の庭でこれだけの広さは珍しいだろう。男の後に付き従いながら、きょろきょろと少年の顔は忙しく向きを変える。小道の両に植わる並木の隙間からは、青く澄んだ高い空が垣間見えた。
(…一体どんな奴が住んでんだよ、何者なんだよ…)
やがて見えた玄関の前に、初老の女性が立っていた。背筋を伸ばしたすらりとした立ち姿と、若いときはさぞ美人だったろうと思わせる顔立ちが微笑んでいる。
「ようこそ、来てくれて嬉しいわ」
「お久しぶりです、フラウ・コンラッド(コンラッド夫人)
ロイは丁寧に挨拶すると女性の手を取り甲に口付けた。軍人とは思えない程の優雅な仕草で。それを見た少年達は目を丸くする。
「まあ、私にそんな挨拶はいいのよ、ロイ」
夫人は楽しそうにくすくす笑いを堪えている。
「では、もう一度…シェリー、本当に久しぶりだね、会いたかったよ。元気かい?」
今度はぐっと砕けた口調になって、男も嬉しそうな笑顔を見せている。 夫人とロイは親しげに抱きあい、互いの頬にキスをする。長年の友人が、或いは離れた恋人たちが、久しぶりの逢瀬に喜びを交わすように二人の間の空気がぐっと濃度を増す。そして後ろで、さっぱり訳が分らない、という顔をしているエドワードとアルフォンスの方に歩み寄ると、優しく微笑みかけた。
「こんにちは。お会いできて嬉しいわ。さ、お入りなさいな」



招待状はロイのかつての上官からで、今はもう退役となった人なのだが、ロイとはずっと交流があるらしい。
内輪のごくささやかな夜会を催すので、是非、鋼の錬金術師を連れてきて欲しい、手紙はそういう内容だった。
「鋼の。少しは行儀良くしたまえよ。…いやはや、弟クンは心配無いのだがね…」
大きな屋敷に落ち着かないエドワードをロイは皮肉っぽく突付く。こういうところは全く少年ぽいのだがね…
「何だよっ、俺だって作法くらい知ってるさっ」
つい先日まで冷淡に無視していたかと思うと、突然旅行に誘い今度は皮肉交じりに馬鹿にする。…人を何だと思っているんだよ。振り回しやがって・…そんな男の態度に少年は心の中で思い切り毒づいていた。ちきしょう、クソ大佐、コイツはやっぱり解んねぇ喰らえねぇ奴だ…


一段と広く明るい客間に通されると、招待主のコンラッドが待っていた。やはりすらりとした品の良い姿と、長年鍛えぬいた体躯は未だに見事なもので、ジェネラルの称号が更に老人に堂々たる風格を添えていた。その姿に少年は目を見張った。若くて見栄えの良い軍人は沢山見たが、この老人のように内から滲み出る風格や人柄というものを初めて知ったからだ。
「ロイ、久しぶりだね。よく来てくれた。」
穏やかな笑みを湛えた人物で、物腰も柔らかく、時折きらりと光る目だけが軍人の名残を思わせる。彼もかつての部下に、マスタングではなくロイと呼びかける。親愛を込めたその呼び方は、歳の離れた上官と部下の間柄なのに、一体何が流れているのだろうか。こんな人物に、ロイ、と友人扱いされる男に少年は驚きを禁じえなかった。
「お久しぶりです、お元気そうで何よりです。そしてご招待ありがとうございます」
最上敬礼。彼の手を取り、男は心からの敬意と礼を尽くす。
「…ああ、堅苦しいことは止したまえ。私はもう上官ではないよ。それに君が部下だった頃、私はあの歳で少将だった。じきに君のほうが上だろう」
男の仕事ぶりを知っているのだろう。コンラッドは嬉しそうに目を細める。
「私はまだまだあなたのお仕事には及びません」
元上官への社交辞令でも何でもなく、男は心からそう思っているらしく、初老となったかつての上官に、まるでちいさな少年のような憧れと従順ぶりを見せている。黒い瞳を輝かせ、素直に頷く男の様は、エドワードにとってはまるで信じられないものだった。
(へーえ、あの大佐があんな態度をねぇ)
二人のやり取りを興味深げに眺めていたエドワードだが、突然話の矛先が自分に向いた。
「ロイ、彼だろう。さあ、紹介してくれないのかね」
将軍はちいさな少年に嬉しそうに目をやると男に促した。
「ああ、はい。エドワード、アルフォンス、こちらへ来なさい」
招待されたとはいえ、男の後ろでお気楽にしていた二人は、男によって将軍の前に押し出された。
「彼が鋼の錬金術師、エドワード・エルリック。こちらが弟のアルフォンス。彼も優秀な錬金術師です」
…っと、困る。俺は軍属だけど、この人の部下じゃないし、凄い人だってのは分かるけど、今は退役だし…敬礼でいいのか?…どうすりゃいいんだろ。握手か敬礼か、そして手袋を取るべきなのか…己の手と将軍と男を交互に見遣って、少年はおたおたと困っていた。しかし、男は助け舟を出す気は無いらしく、黙って見ている。すると、コンラッドは微笑みながら椅子から立ち上がり、エドワード両手を包み込むように固く握った。
「ようこそ。エドワード、アルフォンス。君たちに会えて光栄だ」
伝わる掌の温もりに、エドワードは頬が熱くなるのを感じていた。


夕刻が近づくと他の客も訪れ、夜会が始まった。夜会といってもささやかなもので、客数もそんなに多くはない。
エドワードは、その服ではさすがにマズイだろう、と出発前に男が買ったスーツに仕方なく着替えさせられている。えー、夜会なんて面倒くせぇよ、俺は付いて行くだけなんだからこのいつもの服でいいだろうと、一応抵抗は試みたが、今度は中尉に説得されてしまった。ああ、分かったよ。じゃ、たまにはいいよ、と渋々承知させられたのだった。(第一、俺の懐は全く痛んでいないのだから。)
出席はしたものの、とりあえず料理で腹ごしらえを済ましてしまうと、エドワードにはもうやる事が無かった。こんな大人ばかりの集まりでは相手にしてもらえない。見知った顔がいる訳でなく、大人向けの話題を持っている訳でもなく。アルフォンスと二人、壁際に置かれた椅子に座って眺めているだけ。ロイはというと、多くの客に囲まれて優雅に談笑をしている。
(…クソッ、好かねぇ)
心の中で舌打ちしても実際ロイは腹立たしいくらいにこういう場が似合う。確かにそう尭尭しい集まりでないのは良く分かるけど…今日のように上スーツ姿のロイは、知らない人は軍人とは思わないだろう。それに比べて自分は大人の中では場違いな子どもで、客から声すら掛けてもらえない。そして普通の民間人でもなければ男のような正式な軍人でもない身分。しかも客に紹介もされないではないか。ああ、アルフォンスも他の客からは異質な存在として映っているのではないだろうか。もしかしたら弟に嫌な思いをさせているのかもしれない。
壁際の小さな少年の思考を余所に、大人たちは楽しげにこの場を過ごしている。談笑が遠く近くに纏わりつくようで鬱陶しい。苛立ちが頭を擡げ始める
(…何で来てしまったのだろう。嫌だと言えばよかったのによ)
軍の狗になると決めた時から子どもであることは捨ててきたのに。覚悟はしていた筈なのに。…どうしてこの男に関わると自分はこうも居場所を無くしてしまうのか。居場所の無さを、立場の違いを、思い知らされるのか。中途半端で俺はどちらの世界にも入れない。焦燥感がエドワードの心に細波のように押し寄せていた。

「兄さん、飲み物取ってくるね」
ぼんやりと所在なさげに座っている兄を気遣い弟が立ち上がる。弟は素直な性質だが、この場ではやはり鎧姿には大きな違和感を感じる。出来れば人目に触れさせたくないのに。
(…遅いよな)
中々戻ってこない弟を捜して顔を上げると、向こうで誰かに話し掛けられている弟の姿が目に入った。
(…え?こんな処に知り合いがいたっけ?)
この弟は自分と違って、状況を素直に受け入れ、そこに楽しみを見い出す才能があるらしい。エドワードはますます落ち込んだ。たとえ相手にされてなくても、この場からはロイの許可無く勝手に部屋に戻る事も出来ない。だけど退屈だから部屋に戻りたいなんて口が裂けても言えるものか。
(ちぃ…いっそ早くお開きにならないかよ…)
「よーぉ、嬢ちゃん、元気か?」
陽気な声が頭上でし、見上げるとスーツの大きな男が立っている。
「…? アンタ誰?それに俺、男なんだけど?」
にやにやと笑う見知らぬ男に、不機嫌この上ない口調でエドワードはねめつける。なんだこいつは。
「おぉ怖い。可愛い顔して前とは随分印象違うな。第一オレを忘れたのかい」
「はぁ?俺、あんたなんか知らねぇけど?」
「…もぅ、兄さんてば。鉄橋で助けてくれた人。ランド少佐。さっき会ったんだよ」
ああ。そう言えば、とエドワードはやっと思い出す。その時は意識が無かったが、自分を引き上げた人のことは後で聞いたっけ。アルフォンスに話し掛けていたのはこの男だったのか。一方的に自己紹介をするランドの話を聞くと、彼も初めての上官がコンラッドだったらしく、ロイとも同じ所属だったという。彼らの意外な繋がりに、エドワードは何と返したらいいのか分からない。
「えっと、あのさ、助けてくれてありがとう」
一応お礼は言うが、目を逸らしながらで不機嫌の抜けきらないエドワード。
「ふ〜ん、大人しそうな子だと思ったんだが?ま、その歳で国家錬金術師になる位だし」
エドワードをじろじろ見つめるランドは相変わらず遠慮が無い。思ったとおりを口にする性格らしい。
(……どうもこの状況は納得出来ねぇ)
ずけずけ喋るランドの声を適当に聞きながら、エドワードは自分でも不思議な位酷く苛立っていた。



屋敷の二階、部屋のベッドでエドワードは何度も寝返りをうっている。
やっとお開きになり、喜んで部屋に戻ってきたものの、気疲れしすぎて目が冴えきってしまっていた。 アルフォンスの部屋を訪ねようと体を起こすが、やっぱり弟を休ませてやろうと思い直す。…すでに深夜、屋敷中静まり返っている。
ふらりと窓に寄ると、広い庭に好奇心がおきた。庭の続きがそのまま山野だったリゼンブールでの幼い日々が脳裏をよぎる。エドワードは持ち前の身の軽さで外に飛び降りると、裸足のまま屋敷伝いに回りこんだ。暫く歩いて暗がりに濃い影を落とす大きな木々の間を抜ける。すると急に視界が広がった。


(…あっ)

そこには一面の花、花、花…。
部屋からは見えなかったが、渓谷で咲いていたあの白い花の樹木が群生し、ちょっとした林となっていた。 木はそんなに高くなく、花はエドワードの手の届く所に咲いている。丁度雲間から顔を出した月に照らされ白い花は優しく美しく懐かしく見えた。
(…………)
エドワードの胸が熱くなった。奥深くに押さえていた思慕が湧き上がる。
(……ごめん…よ…今だけ…だから)
木の下にしゃがみこむと、堰を切ったように感情が溢れ出し、膝に顔を埋めて泣いた。

楽しい優しい思い出が次々と現れてはうたかたのように消えていく。 記憶の波間に浮き沈みする、もう戻れなくなった自分の手を掴もうと、もうひとりの自分が足掻く。でも手は届かない。ここでは花はすぐ手の届く所に咲いているのに。夜の岸辺に打ち上げられた朽木のように、寄る辺のない今の自分たち。 誰も気付かないうちにまた流されていくのだろう。自分たちは守られ安心しきっていたのだと今更ながらに思うと涙が止まらない。だが泣き声さえも堪えるように、小さく小さくひっそりと嗚咽を漏らしながら。
(く…ひっ…っ…く・・う・・)
薄明かりの中でこどもは体を震わせていた。
どの位時間が経ったのか。 やがて月は雲間に隠れ、蒼い闇が彼を包み込む。すべてがひっそりと存在し、何も無かったかのように夜の空気だけが有った。
涙も尽きたエドワードは目元をごしごしと擦る。ようやく立ち上がり、洟を啜りながら林を抜けると、そこは小さな水場になっていた。庭を流れる小川に手を浸し、泣き腫れた目をそっと洗う。
ふと気付いた小さな流れに映る闇空は、少年の心に僅かな恐怖をもたらした。こどもはこの場に独りきりであることを突然思い出したのだ。 その時、近くの茂みがかさりと揺れた。
(…ひッ)







04 10/13 初回UP
05 04/21 加筆UP


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