19   機 械 鎧 







早朝のきんとした硬質で真新しい空気。
動き始める前の街を包むそれはまだ清々しい透明感に溢れている。
舗道には夜露で濡れた落ち葉がぺったりと張り付き、昨晩の冷え込みを静かに物語る。大通りに向かう道に沿って所々に植えられた金木犀が、単調な街路樹に変化を添えている。この季節、小さな花は僅かな数を枝に残して落花し、濡れた舗道に金色の欠片を撒いていた。

「…ううっ、さびっ」
窓を開いた少年は、入る空気の冷たさにぶるっと身を震わせた。それでも清々しい空気を浴びていると自分も真新しくなる気がする。目を閉じて大きく深呼吸をする。鼻腔をくすぐる冷たい空気に季節の到来を、きらめく朝日に今日一日の平穏を予感すると、眩しそうに目を薄く開けた。そして開いたカーテンを壁際に留めると、窓だけをぱたんと閉じた。
「兄さん、さっさとお風呂使いなよ。昨夜も本開いて服のまま寝ちゃってさ。ちゃんと着替えてよ。帰りに司令部に寄るんだったら、朝の内に身だしなみは整えてよね。まったく」
清々しさから振り向いた途端、弟の容赦ない声が現実に引き戻す。毎度毎度懲りもせずに注意ばかりされているのだ、この兄は。
「へーいへいへい」
背中をぽりぽり掻きながらバスルームへ向かう。このところ夢中で図書館篭りをしていたんだからさ、それ以外のことには構わなくなるのは仕方ねぇだろ。ん?風呂ってもしかしてン日ぶりか?…やっぱこのままだと開口一番、鋼の、風呂くらい入りたまえよ、と言われそうか。身だしなみって、ああ、新しい服を出さなきゃ…コンチクショー。
「あっ、僕のラジオ!お風呂ではだめっ!」
バスルームでラジオでも聞こうとこっそりと手をかけた途端、その企みは露見して、弟はますます睨みを効かせることとなる。―――兄弟のいつもの朝。


図書館へと勢い良く飛び出した外は、さらに空気が冷たく、じんとくる。
(寒いのは苦手だけどほっとするぜ…)
衿の詰まった服を着ていても、手袋をしていても誰も違和感を持たないから。
隠すわけじゃないけれど進んで晒すものでもないだろう。中にはロクでもない好奇心を持つ輩もいるから。エドワードは思い出す。いつぞやはどっかの町で危うく拉致されそうになったっけ。ガキが高価な機械鎧をつけて旅をしているなんて、訳アリだけどきっと金回りもいいんだろうってさ。それから別のとこでは、モグリの医者にいきなり解体されそうにもなったよな…もちろん全員人生を思いっきり後悔させてやったけど。
――自業自得だって分ってる。けど、それでもやっぱり全部放り出したい時がある。逃げてしまいたい時がある。そう思っちゃいけないのか…
知らず知らずのうちに右肩を押さえて歩いていたらしい。アルフォンスが横から覗き込むように声を掛けた。
「肩口が痛むの?今朝は寒いから」
「えっ、あ、ちょっと。アルこそ寒くないか」
特に肩が痛むのではないが今はそういうことにしておこう。それよりも弟への後ろめたさで背中がうすら寒い。
「寒くないかって、それ皮肉?…いいよいいよ、ちゃんと分ってるから」
兄の心中を察して慮ってくれるのかは分らないが、アルフォンスはひらひらと手を振ってくすりと笑うと、エドワードの軽く背中を叩いてくる。
そんな鎧と子どもの取り合わせに、何人かの通行人がこちらを見ている。
――そうだな、初対面で俺たちに奇異の目を向けなかったのは、大佐とコンラッドのじいさんくらいか。大佐は元から分っているから別として、じいさんは大佐から事情を聞いたとも思えなかったし。帰り際に自分たちを本気で抱き締め祝福してくれたひと。オレの腕や脚を撫でてくれたひと。触られても嫌じゃなかったひと。
「あのさぁ、コンラッドさんってさ、この鎧を撫でてくれたよ。いま思い出した」
エドワードは思わず弟を見上げる。なんだ、お前もおんなじことを考えていたのか。俺たちが通じあうのはやっぱりお互いだけなのか…。
エドワードは微笑みながら右手をポケットに入れると銀時計に触れた。
「…あ、そうだ、もうカネが無ぇんだ。朝のうちに銀行寄んなきゃ。な、アル、お前先行っとけよ。係りの人に大佐の伝言見せたら部屋は開けてくれるだろ。その方が時間がムダになんないし」
「うん、分った」

預金を下ろすとエドワードは銀行を出た。大通りは銀行をはじめ様々な店舗が軒を連ねている。客目を競うショーウィンドゥを、何の気なしに眺めながら歩いていたエドワードは、ある店の前でふと歩を止めた。



「――大丈夫?」
沈んだくぐもり声に、エドワードははっと顔を上げる。目の前には弟、手元には、1ページも進んでいない資料と白紙のノート、転がったペン、そしてまた右肩をさすっていたらしい。弟の声が心配そうなのはその所為か。いや、図書館についてからどうも落ち着かないというか、気もそぞろ、心ここにあらず。いけない、オレは余計なことを考えてる。どうってないことのはずなのに。
「具合でも悪いの?隠し事はしないでよ。帰りは司令部に寄るんでしょ?」
弟の勘の良さになんとも気まずく感じながらも、今の自分を覗きみる。
行きたいような行きたくないような。いや、今日は行きたくない。明日もやっぱりそうだろう。でもいいかげん行かないと。実は行きたくなくなった。だってさ…。
我ながら潔くないなと思いながら、上目遣いで弟の顔をそっと見る。
「肩は何ともない…あのさ、今日でないと駄目か。オレ、大佐の顔、見たくねぇんだけど」
おずおずと様子をうかがいながら口に出した途端、弟の雷が落ちる。
「ちょっと!いいかげん行くつもりで今朝お風呂にだって入ったんでしょ、お礼をいおうって兄さんも言ったのに、何を訳のわからないことをぶつぶつと!兄さんはそれで良くても、僕まで非常識の礼儀知らずだと思われるのはヤダよ、今日は否が応でも引き摺って行くからね――」
一気に捲し立てる弟にエドワードは言い訳も出来ない。行きたくない訳なんて言えるはずがない。
「わかったよ…」


司令部に向かう道。夕暮れ近くの大通りはますます賑わっていた。
今朝と逆を辿りながら歩くエドワードはつい先を急ぐ。 急いだところでロイに会うのが早まるだけだろうに。
「わ、綺麗なお店だね。置いてる物も良さそうだし」
アルフォンスが今朝の店の前で足を止め、ウィンドゥに並ぶ商品に感嘆の声を上げて眺める。そう、ちょうど今朝のエドワードと全く同じように。
(おい、おいっ、アル!)
ウィンドゥに張り付く弟を、兄は慌てて引き剥がし、先へと促す。
「おらっ、急ごうってったのはお前だろ!」
…まったく、いくらお互い通じ合う兄弟だからって、こんなところまで通じ合ったのではかなわない。もし店員が、オレに気付いて、声でもかけたらどうするんだよ…バレちまうぜ。だからさっさと通り過ぎたかったのに。
エドワードは弟を追い立てながら、今朝の事を思い出す。

―――そこは文具店。
ウィンドゥに高そうなデスクトレイやペンが並んでいる。季節商品だろうか、新しいカレンダーのついた小さな手帳。それらの奥にひときわ艶やかな革の手帳が見えた。エドワードはそれに目を留めたのだった。
(………………)
ひとしきりの逡巡ののち、エドワードは重たそうな扉を押した。
思いきって入った店内は、落ち着いた雰囲気を備え、外観以上に高級そうだった。果たして相手にしてくれるだろうかとエドワードは不安になった。しかし、おそらく値踏みされただろうに、今朝身嗜みを整えたのが良かったのか、店員は一人で入ってきた小綺麗な少年に愛想良く声をかけた。
坊ちゃん、何をお探しですか、と問われて、エドワードはウィンドゥの奥の手帳を見たいと告げた。少し待たされ、奥から店員が箱を出してきた。
「あの、見たいのは表の手帳なんですけど」
「あれは完成品として飾ってあります。これは注文品なので、見本をどうぞ。4日程掛かりますが」
この店だけの注文品と聞き、エドワードはしまったと焦る。どうしよう、手元の金は下ろしたばかりだが、足りるだろうか。
そう、エドワードは思い出したのだ。あの手帳が、ロイが自分の為に鉄橋で散らしてしまった手帳と良く似ているのを。中身はどうにもならないが、これをロイに渡してはおかしいだろうか。それに資料のお礼もしたい…
だが。店員が目の前に出した手帳は、よく似ているというより、それそのものの品だった。艶やかな革の質感の装丁。
ああ、大佐の手帳はきっとこれだ。エドワードの心は決まった。
手帳の色を選んだ。同じ色を。そして、お名前をいれますか、と出された名入票。
少し躊躇ったが、エドワードはペンを取ってそこに書いた。
――  Roy Mustang  と。

ありがとうございます、の声を背にエドワードは店を出た。…何故だろう、ロイに渡すつもりの品なのに、ロイの顔を見たくない。そして弟には言いたくない。
鼓動がだんだん早くなる。まさかこんなことをしてしまうとは思わなくて。
どうしよう、どうしよう、どうしよう…
エドワードはまるで秘密から逃げ出すように図書館へと駆け出したのだった――


「………………」
エドワードは右肩に触れながら黙ったまま歩いていく。
慣れた筈のロイの名前を書いたとき、機械鎧が、ペンを持つその手が、微かに震えたのは何故なのだろう。
ポケットに入った注文控の小さな紙片を、エドワードは確かめるように服の上からそっと押さえた。







☆長ったらしくてすみません…




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