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ロイが取り出した古いレターケース。もう数え切れないくらい、持ち主の手が触れ、 その手脂でコクのある深い艶色に変わったのだろうと想像させる品。
ロイはそこから封書を取り出した。白い封筒が二通、ごく淡い水色の封筒が二通。それぞれの表に書かれた、異なる筆跡と、文字を確かめながら、ロイはそれらをていねいに二つに分けた。
それからトレイを一枚、こちらはごく普通の品だろう、を、出した。そして、そのトレイを布で隅々まで拭くと、先ほど二つ分けた封書をのせる。
ソファの少年達は、ロイのその一連の作業を、不思議そうに黙って目で追う。
ロイはトレイを持つと再び少年達のいる場所に戻ってきて、二人の前にそれを置いた。表に自分たちの名前が書かれている。エドワードは中身を探るように見詰めていたが、やがてこれは一体何なのかと訊ねるように、無言でロイの顔を見る。アルフォンスも首を傾げる。ロイは二人の正面に向き合うと告げた。

「君たちへの手紙を預かっている」
「…手紙?」
エドワードには全く心当たりがなかった。俺たちに手紙をくれる人なんていたっけ。わざわざ大佐に預けるような人なんて知らねぇぞ。それに大佐も随分と、もったいぶって手紙を持ってくるし…
金色の瞳を曇らせて考え込む少年の顔を、真っ直ぐに見ながらロイは答えた。
「コンラッド将軍からの手紙と、夫人からの手紙だ。君たちそれぞれに届いている。お二人を覚えているだろう」
…ああ!二人の顔がぱっと明るく輝いた。だから大佐が預かっていたんだ。ハボック少尉が、大佐が俺たちのことを気に掛けていたみたいだって言ってたけど、このことか。エドワードは手帳のことなど忘れたかのように、わくわくとロイに訊ねる。
「大佐、開けてもいいの」
「もちろんだ。これは君たちへの手紙なのだから。落ち着いてゆっくり読みたまえ」
ロイは穏やかな口調で促した。僅かに、黒い目元が伏せられたように見えたが、思いも拠らないひとからの、突然の手紙に舞い上がった少年達は気付かない。

白い封筒が将軍から、淡い水色が夫人かららしい。二人でわざわざ俺たち別々に書いてくれるなんて。誰かから手紙を貰うことなんて久しくなかった。
兄弟は、白い封筒と水色の封筒を見比べて、まずどちらから読もうかと嬉しそうに相談する。結果、エドワードは白い封筒を、アルフォンスは水色の封筒を開けることにした。はやる心を押さえて、中身を破らないように注意深く封を切る。
ロイは黙ってそれを見ていた。

開いた美しい便箋に、何枚にも書かれた、流れるような筆跡の手紙。
へえ、これがあのじいさんの字なのかとエドワードは感嘆する。きっと優しく品の良い流麗な文が綴られているであろう。エドワードは読み始めた。


―――親愛なる私の大切な友人、エドワードへ


手紙の冒頭にはこう綴られていた。


―――きみはこれをどこで読んでいるのだろうか。
     何処か遠くの旅の空か、それともロイの執務室だろうか。


始まる手紙には、まず、エドワードの健康を気遣う内容が優しく綴られ、それから南部で過ごした日々の思い出が連ねられている。エドワードは時間をかけてていねいに読む。始めに戻ったり、同じ箇所を繰り返し読んだり、少しづつ少しづつ、読み進めながらもあの日々を思い出していた。
元々はロイに無理矢理承知させられた南部行き。惨めだった夜会。だが、それらが今日の喜びに繋がる為のものなら、エドワードにとっても輝くような時間だった。
短い間だったが、その価値は何も変わらない。アルフォンスもきっとそうなのだろう。夫人からの手紙をエドワード以上に時間をかけて読んでいる。
二人とも夢中で。何も言わずにただ瞳を輝かせながら。
ロイは黙ってそれを見ていた。

一枚読む毎にその便箋をうしろにまわす。それを数回繰り返し、ついに最後の一枚が一番上に来た。
ああ、とうとう最後の一枚だ。勿体無いなぁ、どうしよう…。エドワードは名残惜しそうに躊躇いながら、手紙を膝に伏せた。そして顔を上げると金色の瞳を閉じる。
それまで黙って見ていたロイが静かに訊ねる。
「どうした…もう終りかね」
「…最後の一枚、読んじゃうのがなんだか勿体無くてさ。俺、変かな…」
エドワードは瞳を閉じたまま答える。今日のこの少年は、表情をくるくると変え、珍しく歳相応の子どもの部分を見せている。エドワードの、少年らしい感慨に耽る様、揺れるような金色の双眸は隠れているが、その表情が美しいとロイは思った。
「そうか…今、ここで読むも読まないも、好きにするといい」
「うん…でも、気になるし…やっぱ、俺、読むぜ。中途半端は良くねぇしさ」
目を開けると、照れ臭そうにへへっと笑って、エドワードは膝に伏せた手紙を表に返し、再び視線を落とす。 瞳がまたきらきらと輝き始める。
だが。
手紙を嬉しそうに読むエドワードの目が急に大きく見開かれ、同じ箇所を何度も行き来するようにせわしなく動く。そうするうちに、手紙を持つ手に力が入ったのか、かさかさと、小さく紙の擦れ合う音をさせた。そして手紙を再び膝に置くと、エドワードは顔を深く伏せた。
夫人の手紙を読み終えたアルフォンスが、それに気付いて、どうかしたのかと訊ねる。しかし、エドワードは何も言わない。 …今日は何かと挙動不審、そんな兄を構っても仕方ないと思ったのか、アルフォンスは、今度はコンラッドからの白い封筒を開けて読み始めた。 やがてアルフォンスも最後の一枚となり、エドワードと同様に手紙を膝に置くと、やはり深く俯いてしまった。二人は何も言わない。
ロイは黙ってそれを見ていた。

執務室のドアの向こうにからは人の気配が入ってくる。窓の向こうには暗い川面に揺らぐ灯りと建物の灯りが遠くに見える。
しかし、ロイとエドワードとアルフォンスのいるこの部屋は沈黙があるだけで、時間を刻む時計の音が僅かに響くのみ。どの位時間が経ったのか、ようやくエドワードが口を開くと、ぽつりと訊ねた。
「…本当かよ」
「本当だ。そういう冗談はなさらない」
「…自分で知ってたのかよ」
「以前からご存知だったらしい」
ロイはエドワードの問いに淡々と答える。
「…いつ?」
「我々が南部を発って暫くしてから。書かれたのは、恐らくすぐで、届いたのは暫く前で…君たちは忙しそうで、呼び付けるのも忍びなくてね。…すまない」
「…大佐、アンタが謝ることねぇだろ」
エドワードは顔を背けて声を絞り出すようにロイに言う。
このことを知っていたのだろうか、ロイは間を置き、付け足した。
「君が南部行きを承知してくれたので私は嬉しかったよ…」


「大丈夫か。宿まで送らせようか」
言葉少なになった少年たちに、ロイは気遣わしげに訊ねてやる。エドワードは首を振ると、そのまま黙って執務室を後にした。今日、ここに来るまでのあの勢いはすっかり消えてしまい、脚を動かすのも億劫だ。それでも歩かないといけないのか。
帰り道、エドワードもアルフォンスも口をきかない。ただ歩いていく。
大通り近くで、仕事を終えて一杯飲みにでも行くのだろうか、ハボックが誰かと歩いていくのが遠目にちらりと見えた。だが、今は誰にも会いたくない、声もかけたくない。そのまま黙って見送ると、角を曲がる。今朝、輝くような朝日を浴びて歩いた金木犀の植わる道も、今は人通りも少なくなった、ただの道にしか見えない。
星冷えのする夜の街、二人は宿への道をひたすら歩いた。


宿に着くとエドワードは手紙を取り出した。そして最後の一枚をもう一度確認するように読む。でもそこに書かれた文はやはり同じで。

―――親愛なる私の大切な友人、エドワードへ
最後になってしまったが、これを君が読む頃には私はもう生きていない。あと少しの残された時間を、君たちと知り合い、共に過ごせた事を心から感謝しよう。愛する私の大切な家族、エドワード、君の旅が、無事に早く終わることを祈っている。
……最後にもう一度言わせて欲しい。エドワード、君を愛している。

エドワードは手紙を仕舞うとバスルームへ向かった。
シャワーを出してお湯を張り、服を脱いで、たぽんと湯を揺らして身を沈める。身体が温まるにつれて顔が歪みはじめる。 下から顔をかすめる湯気とは逆に、暖かい涙が頬を伝って湯に落ちる。そのうち堪えきれなくなり、嗚咽が漏れ始める。エドワードはシャワーのコックを捻った。そして頭から湯を浴びつづけた。
――バスルームには、さあさあという水音が響く。
あの夜の庭で、人知れず泣いたようにエドワードは泣く。あの時は、これから先、もう泣くことはないと思っていたのに。少なくとも肉親以外の誰かの為に、いや母のことでももう泣くまいと思っていたのに。それなのに、奇しくも今、コンラッドの為に自分は涙を流しているではないか。
ああ、そうだ、そうだった。心に入ったひとは大切なひとだから、無くしてしまうのは悲しくて。それは肉親だろうが他人だろうが同じではないか。自分はこんなことも気付かなかったのか。もう二度と会えない、取り戻せない日々。
この喪失感に差などあろう筈がない。


不意に止まったシャワーに、顔をつと上げると弟がいる。慌ててエドワードは目元を拭う。
「な、なんだよ、アル…うわっ、…ぷあッ!」
弟にいきなり湯に沈められた兄は、喉を押さえ、げぇげぇと湯を吐いて息をする。
「…ッ、アルっ、お前、何すんだよ!俺を殺す気かっ?!」
「なにさ、お湯の中なら、泣いてるのが分らないだろうから、手伝ってあげたんだよっ!文句ある?!」
そう言ってアルフォンスはまたエドワードを湯に沈めようとする。
「何だよ、ぼくを馬鹿にしてるの?いつだって自分ばっか抱えてさッ!こんな時まで独りで泣かなくってもいいでしょっ! そんなことされたらぼくは泣けないよッ!ぼくだって悲しいんだからッ!!ふざけんなこのバカ兄!」
涙を流せない弟が、心でも泣けないと言って本気で兄に怒っている。その言葉にエドワードはぎゅっと目を瞑った。目に入った湯と、涙が絞られるように一度に流れ出した。…ああ、そうだ、そうだった。この気持ちはアルフォンスも同じだった。
二人の気持ちにだって、差などあろう筈がない。
「ごめん、ごめん、アル…ごめんよ…ごめんよ…」
小さい子どものように、ぽろぽろ涙を流して泣き続けるエドワードの頬を、アルフォンスはそっと拭う。 バスルームに嗚咽と無言の泣き声が小さくこだまし、明り取りの窓が風にかたかたと鳴る音が、時折、それに加わった。







* 04/11/27UP     う〜ん、ううむ…足りない気が…





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