22   背 中       ACT 2    East City







早朝の東方司令部では、夜勤明けと早番の引継ぎ業務が行われていた。
夜勤明けの開放感から盛大な欠伸をする者、これから引き継ぐ仕事を思って欠伸を噛み殺す者、そんな平時の軍隊内部での日常が各所で展開していた。
ここ、警備担当詰所では、門と建物出入口を担当する兵士が引き継ぎを行っていた。東方司令部に出入りする外部者の氏名、身分、目的、人数等を照合するのが彼らの仕事だった。
「…昨夜の出入り人員は以上…こことここを確認…それじゃ俺はこれで」
「了解。お疲れさん」
昨夜も特に何事もなく、彼らは型通りの引継ぎを済ました。早番の兵士は出入簿と出入許可願いを見比べる。2箇所に提出された、2枚の出入願いと出入簿が一致すればそれで良い。時には片方の書類の紛失もあるが、今まで何の問題も無かった…その程度の認識で、彼は熱い茶を飲みながらのんびりと照合をしていた。
「…ん、顔ぶれが変わったかな?」
何度もやって来る者も多いので、自然と記憶に残る名前はある。でもまあ、それだけのこと。何もなければ別にどうでもいい。寒いが今日も晴れるといいけれど。ああ、そうだ、昼飯は何を食おうか。
兵士の悩みと言えば、それくらいのことだった。
やがて時間が経つにつれ、平凡で地味で単調な仕事に、彼はいつものように退屈な欠伸を落とし始める。これが業務命令といえど、飽きちまうんだよな…。
「…あっ」
ふと顔を上げれば、女性がこちらへ向かって来るのが見えた。階級章が士官だ。
間もなく詰所の扉がかちゃりと開いて、犬を連れた士官が入ってくる。美人だ。
兵士は慌てて立ち上がり、敬礼で士官を迎える。こんな詰所に士官がやってくることなど滅多になく、兵士は必死で自分の失態を考える。が、特に思いあたらない。
この寒空に緊張で汗する兵士に、美しい士官は表情を変えずに告げる。
「ご苦労。…その出入記録を少し借りたいのだけれど、いいかしら」
「は、はいッ…!」
兵士にすればこんな出入簿に何の用があるのだろうと思うが、もとより返事以外は言うことも無く、彼女はそれを受け取るとすぐに戻っていった。
噂の美貌の主を、ごく間近に見た兵士は、早やる胸を押さえて呟く。
「…あれが、あの人が、あの司令官の副官…」


「あ、あちち、あちっ」
「…ちょっとは落ち着いて食べなよ、みっともない…」
熱いシチューを何度もふうふうと吹きながら、それでもがっつく兄に弟は呆れていた。風邪が治ってきたと思ったら今度は食い気。まあ、寝込んでるよりいいけど。
「でふぁ、おまふ、へりょうくぁいほくふふんはか?」
まだ熱いジャガイモを、あふあふと口の中で転がしながら、エドワードは尋ねる。
「資料解読?あのね、口に物を入れたまま喋るのは行儀悪いって母さんが…」
鎧の表情は見えないがその口調には軽蔑が微妙に混じる。それでもエドワードは食べながら構わず続ける。それにアルフォンスもついつられて議論が始まる―
あれは新しい形の錬成陣を加えているところに面白みがあって…、と夢中になってきた時、男の声と女の怒鳴り声が聞こえてきた。廊下で言い争いをしているらしい。二人は顔を見合わせ思わず廊下を覗く。
だんだん大きくなる声にドアから顔を覗かせる人も増えていく。
―― なによそれ
―― うるさい、俺の勝手だろ
―― …ひどい、長いことあなたには尽くしてきたのに…!
ついに女が泣き出した。アルフォンスが兄にそっと耳打ちする。
「ね、これがチワゲンカ?あの人、男の人にいろいろしてあげたんだね。可哀想」
意味は良く分らないが、兄の威厳を保つべく、とりあえずエドワードも頷く。そのうち争いは止み、食事の続きをしようと扉を閉めて、スプーンを手にしたとき、蘇ったあの…。
(……あ!)
シチューを掬おうと手にしたまま途中で急に止まってしまい、目を見開いたまま固まっているエドワード。口は小さく何かブツブツといっているがアルフォンスには分らない。この兄は今度は一体何を始めたのか。するとエドワードは突然立ち上がった。髪を整え服を着替えてコートをはおり、弟が尋ねる間も与えない。
「アル、出かけてくる」
それだけ言い残すとエドワードは部屋を飛び出していった。


記録簿を借しだして2時間くらいのち。
兵士は美貌の副官が外出ついでに携えてきた記録簿を受け取った。
一体何を見たかったのだろう…ページを捲るが変化はなかった。


緩い太陽が煌めき、遠く澄んだ穏やかな空を仰ぐイーストシティ。ここ、東部はわずか数日の間に一気に気温が下がり、ついに冬を迎えた。煉瓦造りの古い建物が続く大通りを行く人は、皆、厚い外套を羽織っている。街路樹は空を背景にオブジェのように枝を晒し、その冬枯れの無彩色の街にエドワードの赤い外套が花のように翻る。走るにはまだキツイ身体で、それでもエドワードは急ぎ足に歩を進めながら思考を次々巡らせていた。
えっと、まずは慣れた図書館がいい。きっと当日の新聞が保存されてる筈だから。それがダメなら新聞社だ。記事だけ捜す事も出来るし、分らなければ記者に訊けばいい。そうしよう。―― ダメなんだ、今確かめなくちゃ。たいしたことではないのだろうけど、それでもずっと、澱のように沈んで引っ掛かってるんだ…

図書館に着くと、一般閲覧室に飛び込んで新聞を漁りだす。あれはいつだった、思い出せ…エドワードは日付を繰りながら目当てのものを捜す。だが。
「ああ、以前のものはもう処分されました。いずれ新聞社が縮小版を発行するのでそれを置くんですよ…」
係りの返事にここはダメだったかと、エドワードは今度は新聞社に向かった。大通りを少し戻って、オフィス街の中の建物へと。新聞社には図書館のような資料室があって一般に開放されている。部屋には3か月分はあると思われる、大量のバックナンバーが備えてあった。エドワードは、今度こそはとまた新聞を漁りだした。
(あった、多分これだ)
日付を確かめ記事を探す。きっとこれ。それは事故欄と死亡欄の紙面。
エドワードは記事を読みながら該当しそうなものを2、3拾い上げ、メモを取った。そして新聞社を後にすると、また通りへと向かった。
エドワードはメモを見ながら捜し始める。 はじめの記事は場所が違っていたようだ。もうひとつは、"レスター区テドフォード通り5番"。街角の住所表示のポールを見ながら、エドワードは現在地とメモの方向を確かめる。
(これか)
エドワードは住所の方へと急ぎ始めた。
緩い坂を上がり、商業地区から住宅地へと向かう境界地区に入る。ここは図書館へ抜ける道でもあり、自分たちも利用していた。 それで、…聞いてしまったんだ。
エドワードは住所の家を見つけると門から中を覗き込んだ。そう広くないが中流家庭が住みそうな小奇麗な印象。カーテンは閉じられたまま。気配がないが留守なのだろうか…。エドワードは逡巡し、思い切って呼び鈴を押す。 が、応答は無く、もう一度呼び鈴に指を乗せたとき、背後から声が掛かった。
「きみ、この家に用なのかい、この辺では見かけない子だが…」
振り向くと、いかにも近所の住人、という風情の男が立っていた。見慣れぬ少年を凝視し訝しげな様子を見せる。エドワードはこれをどう説明しようかと焦る。直感のままにやってきたものの、面識の無いひとを訪ねるそれらしい理由など何も考えていなかった…
「えと、あの、俺、前にお会いした事があって、新聞の記事を見て、それで…ここの人に訊きたい事があって…あの、」
苦し紛れに嘘を混ぜ、小さな声でしどろもどろになって俯く少年に、男は都合の良い勘違いをしてくれた。
「ドルソンさんの知り合いか。そうか、お悔やみに来たのか。でも、ご家族はもう引っ越されて、この家は売りに出るんだよ」
「え」
「真面目な、軍関係の仕事をする人だったが、突然だった。良く分らないが、そうそう、家族が『長年軍には尽くしてきたのに…』って言ってたのを聞いた事がある。何かあったのだろうか…」
その言葉にエドワードは自分の記憶を確信する。やっぱりそういっていたんだ。あの葬列にすれ違う時。聞き間違いじゃなかった。なぜこのことがこんなに引っ掛かるのか分らないけど、俺の知らないうちに事件でもあったのか… エドワードは考え込んでしまった。
「どうした、大丈夫か」
黙って難しい顔をしている少年に、男はショックを受けているのだと思ったらしい。慰めながら知っていることを幾つか教えてくれた。エドワードは礼を言うとその家を後にした。

イーストシティを流れる大小の河。最大のものには幾つもの橋がかかり、鉄道や道路を次々と繋いでいく。小さな船のエンジン音が響き、穏やかな日は小さな細波を走らせながらも、直近の東方司令部を川面に映立し、ゆったりと流れていく。東部の顔とも言える美しい風景。だが、何処の街にも背中はある。
流れる川を窓越しに遠目に見やりながら、男は報告を聞いていた。細大漏らさずされている報告。男の知らないことはまだあった。
その日、川沿いに船を寄せようとした船主は、もやいに絡まるものを見つけた。






*04/12/21 UP





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