----エドワード=エルリック ・登録番号 E××××-××× ・登録初年度 19○○ ・合格等級 S ・拝命二ツ名 鋼 ・性別 M ・○○年○月現在 年齢 13歳 ・資格更新回数 1 ・査定等級 S …… 執務室続きとなっている小保管庫で、ロイは先程から少年のファイルを見ていた。 見慣れた書式と内容項目であるが、いつ見ても無機質だ、と男は思う。いや、書類にそんなものを求めても仕方あるまい。登録書類は只の分類であって意味はない、ただ事務処理が迅速に成されるようにつくってあるのだから。と、備考欄に目を落とす。そこには特記事項として、 『軍属 :未成年につき軍後見人有(後見人登録番号 A××-××-× 後見人氏名 ロイ=マスタング)』 と記してある。 後見人。これも規定上だけで意味はないと思う。必要だったのは貸し金庫の書類に添えたサインの時だけだ。 「――それにしても」 見事なまでの数字と記号の羅列だ、と男は呟く。名前なんて1箇所づつにしかない。司令官である私でさえ後見人登録番号で済まされるのだからな。生きていてこれなのだから、死んでしまったら、「死亡」と赤い判子を押されて終りなのだろう。いや、死亡台帳には載るな。そして何年かはきちんと保管されるだろうが、そのうちどこぞの倉庫の隅っこでカビだらけの束の中の一枚になってしまうのだろう。そして名前は、今度は墓標の識別記号へとなってしまうのだ…そういうものだ。おや、何を感傷に耽っているのだ、私らしくもないだろうが。 男が自嘲気味に、ふふ、と独り小さく笑いを落とすと同時に、執務室の扉を叩く音がした。男は顔を上げずに「入れ」とだけ短く発する。 「大佐…?…ああ、ここにいらしたんですか」 男の冷徹な副官が顔を覗かせる。よく通る澄んだ声が綺麗だ、と男は思う。美貌の人ではあるが、何と言っても輝きを添えているのは鳶色の双眸だろう。迷いの無い輝き。この上なく頼もしい副官であり、かけがえのない同志でもある。その同志は控えめに男の横へと並んだ。 「何をご覧になっているのです?」 「…国家錬金術師のファイルを整理していた」 少年のページをさり気なく閉じながら答える。 「もうそろそろそんな時期になりましたか。今回、推挙はお心当たりが?…そういえば、エドワード君の時は、いえ、彼は最初の出会いから書類不備でしたね」 彼の登録を閲覧していたのを知ってかどうか、副官はふと口にする。男も回顧を綴る。 「そうだったな、調べさせた彼の情報を携えて出向いてみれば、とてつもなく幼い年齢だった…」 道すがら知った事実。あの時は、まず書類不備に立腹し、本当の年齢に驚愕し、それからその幼さ故に却って一層興味をそそられたのだ。あの金属を本当に錬成したのかと。 将来有望そうなら、田舎から引き取って勉学環境を整えてやろうかと。そう、子どもの先物買いも酔狂で面白かろう、犬は仔犬の時から躾るものだ。なのに。自分はとんでもない仔犬を拾ってしまったのだ… 「大佐…?」 黙ってしまった自分を訝しむ副官の声に、つと顔を上げる。 「あの、もうすぐ司令官会議のお時間に。それから…」 副官の示唆に男は無言で頷く。やがてぱたんと扉が閉まる音がして、男はまたひとりになった。 司令官会議なんて老人の愚痴大会ではないか。、またあの煩いお偉方を、他所の司令官を相手にしなければならないのか。その中で貴様は若造だと延々と叩かれて、まったくもって時間の無駄だ。忙しいというのに… 『司令官』、自分の今の職務名。 『大佐』、自分の今の階級名。 『焔』、自分の拝命二ツ名。 ふん、ロイ=マスタングなんて何処にも在りはしない。いや、これだって生命体の個別認識記号ではないか。 そも、自己認識なんて、自我という名の妄想の産物ではないのか。自分自身の認識と他人からの認識。両者が一致することなど在り得ない。大体、自分が自分であることを一体どうやって自分に知らしめるというのだ?何を以って自分だと言い切れるのだ? ああ、いかん、今日の私はどうかしている…さっきから埒も無いことばかりを… 男は軽い疲労感で嘆息を落としながら、ファイルを棚に戻そうとした。その時。ぐるぐると小部屋が回るような目眩の感覚に、男は思わず書棚を掴む。膝から力が抜けていきそうになるのを堪えながら、肩で息をして喘ぐ。冷汗で張り付いた黒髪が鬱陶しい。一瞬薄れそうになった意識の奥から聞こえたのは。 (ロイ…!) 突然。射貫かれたような衝撃と速さで、胸の奥底から浮かび上がる呼び声の木霊。記憶の中の声。心の襞を撫でるように何度も何度も繰り返される。そして溜まった雫の一滴が零れ落ちるように男の心に波紋を起こす。この声は。 (ロイ…!) 懐かしい声の主は、すでに墓標の主となったのではないか。何故。今更。今頃。本当に今日の私はどうかしている。そうか、これはあの少年の所為か…あの少年が…金色の瞳をゆらゆらと震わせて、それでも背中ははっきりと自分を拒絶していた、穢れない意思。何故、彼は。 彼を知ってから己の心に凪がなくなってしまったような気がする。何故、私は、あのちいさな少年にこんなにも心揺らされるのだろうか… まったくとんでもないものを拾ってしまった… 外で待つ副官に気取られないようにと冷汗を拭き、軍服を調える。煩い連中に隙は見せられない。息を整えながら小窓に目をやると、 一昨日からの雪が降り積もった外は、今はきらきらと眩しいほどに光を反射させている。休憩時間の若い兵士が雪合戦に夢中になっているのだろうか、時折歓声が聞こえる。屈託の無い明るい笑い声はかつては自分も持っていた。そう、かつては。何の疑問も無く…だから?だからと言って、お前はまたそれが欲しいのか? 分らない…それでも…それでも…私は… 墓標の主に返すかのように呟く。 「前に進まねばならぬ」 男は息を整え、唇をきつと結ぶと、ゆっくりと執務室を後にした。 05/01/28UP |