28   始まり       












「最近、躍進目覚しいようですが…」
「…分っている」
抜けるような冬の晴天がガラス越しにも眩しい。雲ひとつない青い空はどこまでも続き、穏やかな陽光が溢れていた。 温室のような温もりと明るい部屋の中で、数人の男たちが言葉を交わしている。会議卓に広げられた上質紙の資料が、陽光を反射させて白く眩しく光っている。
市の中心地、商業地区の中でも一際高いビルの全面ガラス張りの部屋から見下ろす街は、今日も日常の活気に溢れている。取引所に向かう沢山の人や車が通りを行き交い、信号が変わると一斉に動き出すさまは、不景気などまるで感じさせない。地上ではひとびとのざわめき、積載音、エンジン音、クラクション、呼び込みの声、など、あらゆる欲が音となって響いていたが、その賑わいはここまでは届かない。
静かな温室の中で別の声が響く。
「あのままでは市場拡大に支障が出ると思って手を打ったのですが、効果の程は如何なものかと…」
「うむ…」
手を後に組んで窓際に立ち、肉厚な背中を見せながら男が頷く。こちらからは見えないが、男は苦虫を噛み潰したような顔をしていた。全く面白くない…いや、それどころか逆手を取られている気さえする。
「ところであれは分ったのか?」
その問いかけに待ってましたとばかりに、別の男が進み出る。そう、あれさえ分ればこっちのものだ…これで俺も出世できるに違いない。でも正直に全部みせるつもりは無い。手の内は大事に小出しするものだからな。男は野心を隠して、得意げな中に少量の言い訳を含ませた。
「なにぶん時間が…もう少しお待ち下さい」






「では、マスタング君、君は今期の査定役には入れないと言うのかね?折角推薦をしようと思っていたのに」
中央の数ある幹部用執務室の一室で、幹部が男に訊ねていた。この幹部は、昨日の報告会にも出ていた幹部で、あの連中の中では唯一まともな人物だった―― と、ロイはそう思っていた。昨日の件で、男にしては珍しく、幹部に好感を抱いたようである。それだけに彼の言葉が痛い。 なるべく角を立てないように、と男は精一杯の言葉を捜す。
「申し訳ありませんが、私のような若輩にはとても勤まりそうにありません。それに現在の業務で手一杯なのです。良いお話をいただいたのですが、他の錬金術師を役列にお加えください…」
男の言葉に幹部は笑う。
「おいおい、焔の大佐、が若輩とは。確かに君は若いが、それは年齢だけのことで功績、技術ともに何一つ問題ない。いや、むしろ毎年のように優れた研究者を推挙してくるではないか。それは君が優秀な証拠だろうが。何故査定役には入れないのかね?」
笑って問われるとますます辛い。
「今年はよい錬金術師を見つけられず、軍に対して貢献が出来ませんでした。ですので私が役列に加わるのは相応しく無いと思いますので…」
男は必死で理由を組み立てるが、あまりにも露骨にはそれを出せない。あくまで遠慮する態度で無いと、却って反感を買うではないか。今日、昨日の報告書の手続き等で本部に顔を出していたのだが、不意にこの幹部に呼び出され、降って沸いたようにいきなり査定役を打診された。
査定――それには中央の軍研究員が多く連なっていた。自分だって研究者なのだから、もちろん人の錬金術には興味があるが、査定役にはなりたくない。錬金術とは実用してこそ、その価値があるものだ。机上の論者と列を並べるのは肌が合わない気がする。私は実用実戦向きの研究者兼軍人で良いのだから。男はずっとそう思っていた。それが自分の道だとも。確かに自分は国家の為に錬金術師を少なからず推挙をしてきたが、それは目的が違う。
それに、出来れば今回は役列に加わりたくないのだ。去年ならば良かった。あるいは来年ならば。
何故なら…いまはやらねばならぬことがある。
遠慮がちな言葉の中にも、困惑した顔を見せるまだ歳若き司令官に、幹部はふっと微笑を漏らす。切れ者である筈の若い男は、その微笑の意味がわからず、途惑いを覚えていた。あるいは何かを見透かされた気もして。沈思。やがて、ガラス越しの日差しが男の軍服を温めた頃、幹部は立ち上がって男の傍に寄ると、その肩に軽く触れた。
「…これは命令ではなくて君への依頼だ。確かに、急な話で君にも都合があるだろう。だからとりあえずはこの件は保留にしておく。東部に戻ったら業務を整理して考えてくれないか…」
穏やかで腰の低いこの幹部に、普段強気の男も、さすがに強い口調では断り切れなかったとみえる。薄い汗を背中に感じながら、失礼します、と一礼し、男は執務室を後にした。




うららかな冬の日差しを背中に浴びながら、男は渡り廊下をみっつほど渡って別館の情報部へと向かっていた。帰りに顔を出す約束をしてしまったが、先ほどの幹部の言葉が頭の中で反芻していた。困ったものだ、保留にされるとますます断れないではないか。考える内に、情報部へと向かう足取りが重く段々と面倒になる。いっそのことこのまま東部へ帰ってしまおうかと思ったが、或いは彼が良い策を授けてくれるかもしれないという微かな期待も持っていた。
途中ですれ違う軍人達は殆んどが佐官で、お互い歩きながら階級章を見て、反射的に敬礼と答礼を繰り返す。ここでは自分は単なる「大佐」、あるいは幹部達には「生意気な黒髪の若造」…それもまた良いではないか…
男はふと立ち止まり目を細めると、煌めく金色の光を放っている太陽を眩しそうに見上げた。



「良い執務室を持っているな…」
昨日は本部で時間を取られたので、外で待ち合わせた。なので、久しぶりに訪れた親友の執務室を見回しながら、男はそう呟いた。親友は中佐であり、情報部の責任担当者であるが、男のように司令官ではない。自分の執務室と比べると格段に狭く、しつらえもあまり良くないが、彼の部屋は何時来ても落ち着くのだ。
所狭しと資料や本が積んであり、いま自分が座っている来客用の卓と椅子が置かれ、それらの間隔ぎりぎりに置かれた机と電話の存在が、辛うじて仕事をする部屋だと認識させている。雑然とした印象なのに、部屋の主と同じくおおらかな雰囲気を醸し出し、それが男の居心地を良くしていた。
「おお、東方司令官殿の部屋には劣るがな。俺はここが好きだぜ…待ったか?悪いな」
入ってきた親友は片目を瞑ると、男の呟きに陽気そうにからからと笑う。
「昨日は世話になった。…ヒューズ、いきなりで悪いのだが、ちょっと教えて欲しいことが出来た。…この部屋なら大丈夫だろう。誰にも聞こえないだろうから」
そう言うと、男は先ほどの話を控えめな声で親友に切り出した。
…ほぉ、今度は査定か。今年は特に情報やれなくてお前にゃ悪いとは思っていたんだが、チャンスじゃないのか?
…まともそうな御仁だがどう思う?しかしこれに加わると、無能連中の風当たりがますます強くなりそうだが・・・正直言って査定なんて面倒なんだ。断ろうと思っているんだが。
そこまで喋ると男は唇をぎゅっと噛んだ。乾いた唇が僅かに切れて血が滲む。それに気付いた親友は、扉越しに大声で言いつけて、お茶を持って来させる。
「お前、唇、切れてるぜ。乾いてんだろが…ほらよ。まぁ、茶でも飲めや」
「……すまん」
緊張しているのか?という問い掛けを否定もせずに、男はお茶を受け取り、ゆっくりと美味そうに飲んでいる。
優秀で自信家のこの男が、中央の一幹部に呼ばれたくらいで緊張するとは思えない。それに無能幹部の風当たりが強いのはいまに始まったことではないのは分っているだろうに…忙しくて疲れているんだろうか?昨夜も長椅子で夢見が悪かったのか、うなされていたようだし…しかし、親友はそれらは口には出さずに男の求める返事をしてやる。
「ま、その幹部のことは早急に調べといてやる。いまの所は悪い噂は俺は聞いてないが?温厚で公平な人物らしいけどな」
温厚で公平という親友の評価を口の中で繰り返すと、首を傾げている。その姿がまるで少年のようで、何時に無く頼り無く儚げに見えると親友は感じた。
「ヒューズ、忙しいのに悪いな」
俺に気ィ使うなよ、と親友は笑って手を振る。そして思い出したように言い添えた。
「あ、そうだ、東部からの書類でお前のサインが抜けてるのがあったんだ。ちょい書いてくれや」
「…サイン?今頃?ここでか?…まあいいが…」
親友が取り出した書類は随分と前のもので、今更そんなものにサインが必要なのかとも思う。が、親友が要るというから要るのだろう。男はこれは少尉の担当だったかと思い出す。さては、さほど重要じゃないからと、私の決済を待たずに回したな…帰ったら怒ってやらなくては。そんなことを考えながら必要事項とサインを書いてやると親友に渡した。

「…では、俺はそろそろ東部に帰るよ。今から乗れば夕方までには着きそうだからな。世話になった、またな」
二人で軽い食事を済ますと、ヒューズは本部の玄関口まで連れ立ち、階段を下りていく黒髪の親友の後姿を見ていた。艶やかな黒髪に冬の光が当たり、僅かな風が髪を軽く持ち上げる。穏やかな午後。なのに、何故か走って行って男の背中を掴んで引き戻したい衝動があった。なんだ?俺は?あいつはこれから自分のテリトリーに帰っていくと言うのに、心配性だな俺も。いまのあいつは順風満帆だろうが。男は首筋をぽりぽりと掻くと、自分の心を打ち消すように、兵士が居るのも構わず伸びをする。
「さーて、そんじゃ、ご依頼物件を照合すっかー!…シゴトシゴト!」




主のいないここ東方司令部では、部下たちが忙しく働いていた。
上司が単独で中央に報告に行った。そのわずかな間に、直属の彼らは命令どおり、調書をひたすら読み返していたからだ。
「中尉、これといって何も見つかりませんが」
「…そうね、でも大佐がお帰りになるまでになんらかの手掛かりが欲しいのよ。思いつく事、思い出した事、どんなことでもいいわ、片っ端から当たって」
「せめて非公式でも別調書を作れたら良かったんですけど…」
「馬鹿、無理だからこうしてこれを当たっているんじゃないか。そのときのことを思い出せよ」
「だってどこかに行ってしまって分らなくなっているからでしょう!全く!…」



「おい、ロイ、お前、俺に嘘をついたな…」
その頃、情報部の小さな執務室では、眼鏡の男が大きな頭を抱えてため息を付いていた。
窓から差す夕日が部屋を赤く照らし、唇に滲んだ血のような色が、男の心を更に不安に陥らせた。

(近いうちに何かが始まる気がする…)











05 02/12 UP





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