32  好 き?       ACT2. Letter









「…貴様ッ!ウ、ウォルサザーランド少佐ッ・・・!!」
「おおぉ、大佐殿、珍しくフルネームで呼んでくれましたね」
脳天気なのか、天然なのか、まるで外れたことを嬉しそうに、微笑みながら、寝癖のついた頭をぼりぼりと掻いている暢気な大男。そののんびりした様子が疲れたロイを一層激昂させた。
「ランドッ、お前、私の留守中に勝手に上がり込んで!いや、一体今まで何処に…」
厳しい口調でランドを詰問しかけて、次は別のことに思い当たる。疲労が苛立たせるのか、冷静なロイも普段にらしくなく、次から次へとこの暢気な大男への怒りが込み上げてくる。
「お前、あれを使ったんだな!しかもっ、勝手に私のベッドルームに入って毛布まで持ち出したな!」
「朝帰りを通り越してもう午後ですぜ。だって、俺だって初めは遠慮してポーチの前で、一晩大佐殿を待ってたんです。春とは言え夜はまだまだ冷えるんですわ。寒いわ疲れるわ眠いわ腹は減るわ…仕方なく入ったんですよ?」
当然のようにランドは答える。
「…さては勝手に食事までしたか?」
そう言いながら、ロイは今度は足音荒くキッチンへと向かう。案の定、テーブルの上にはチーズやらハムのやらライ麦パンなど常備食の食べ跡があった。おまけに。酒棚まで勝手に開けられて、そのなかのロイが気に入っていたブランデーを飲んだ跡痕があった。
「おいっ、酒もか!!」
「・…寒かったんです。すっかり体が冷えてしまって。たまには良い酒飲ませてくださいや」
ランドは悪びれもせずけろりとしている。勝手に屋内に入っただけでも立派な犯罪になるというのに。上官にあたるロイにも対等である。まったくたいした度胸の男である。
にこにこしている侵入者。逞しい体躯と無邪気な笑顔のアンバランスさに呆れ、ロイは怒る気が段々と失せてきた。…こいつにはいつもそうだ。ロイはため息をつくと諦め口調でランドに告げた。
「…私を待っていたのだろう?この際だからついでにあと3時間ほど待て。私は一寝入りしたいんだ」








――― 闇の中、何処も彼処も燃えさかる一面の炎だった。その中に彼の姿が浮んでいた。






「…あ!」
カーテンを引いた薄暗い寝室に男の呻き声が落ちた。
汗びっしょりだった。視界が滲んでぼやけて見える。手を持ち上げて目元を探ると、指先がわずかに濡れた。
( どうしたんだ・・・私は・・・泣いていたのか・・・)
再び目を瞑ったまま、夢の記憶を切れ切れに辿り寄せる。随分長いこと忘れていたのに。いや、忘れたことは一度も無かった。あの顔を。あの表情を。
のろりと重たげに半身をベッドに起こし、汗に湿った黒髪を掬い上げ、大きく息をついた。そして指の隙間から辺りを見遣る。椅子には脱ぎ捨てた上着とシャツとズボンが掛かっている。床には靴が転がっている。
静まり返った部屋、カーテン越しの光は大分と弱くなっていて、それが時間の経過を物語っていた。早く帰ろうよ、そんな子どものはしゃぐ声が遠くに僅かに聞こえる。
――やはり夢だったのか。そうだ、ここは私の部屋ではないか。なのに。どうして。あんな夢を。何故いまごろ。しかも彼が何故あそこに。そしてやがて思い当たる。ああ、きっとあれだ、銀行で少年の話を聞いたからだな。エドワード=エルリックの。それで余計に繋がってしまったのだろう。あの彼だ。男は誰が己の心の奥底に沈んでいるかをようやく自覚したのか。
上官と部下。後見人と被保護者。大人と子ども。何れも男の立場は上であった。立場が違えば抱く感情も違う。立場とはアイデンティティーであり、立場は時として人の心を乱れさす。感情は社会的産物であるともいえた。共通項といえば『国家錬金術師』であることぐらいだ。
「…違う、私は常に錬金術師だった」
意味の解らぬことをひとりごち、男はバスルームへと向かった。悪い夢を洗い流すかのように水圧を強くする。無人の部屋の椅子に掛けられた上着のポケットから、銀時計の鎖が静かに滑り落ちてしゃらんと乾いた音を立てた。が、水音に掻き消されて男には届かなかった。








「では報告を聞こう」
シャワーを浴びて、こざっぱりしたシャツに着替えたロイは、暢気な侵入者の対面に座るとそう促した。眠って頭も動くようになり、いつものように冷静な声に変わっていた。それに呼応するようにランドの顔付きも変わった。かつては自分と同じくコンラッドの部下だったジェイ=ヴァン=ウォールサザーランド。そして今はまた部下として使っている男。列車テロで再会して以来、男の頭の中には、この機転と機動性に優れた大男をどう使ったやろうかという思案があった。ランドは優秀ではあるが、遠慮の無い率直な物言いが故に、軍部内ではかなり異動の多い男でもあった。今度は東方司令部管轄内に回されてきた。前所属にすれば東方の『生意気な黒髪の若造』に押し付けたつもりなのだろう。だが、おおらかな彼の市民性は市井に潜り込ませるには使い勝手が良いに違いない。権限の多い佐官ではあるが東部司令部内において顔が殆んど知られていないのも良い。が、自分の直属の部下には知られている、という点も。人懐っこさ(ある意味とてつもなく図々しいのだが)も。偶然と必然により、ロイはこの大男を例の捜査に加えたのだ。二人は職業軍人の顔に戻っていた。ランドはロイの目を見て黙って頷くと、概要を報告し始めた。
「―― あの河に引っ掛かっていた、俺が関わった、例の男ですが、未だ行方はわかりません。やはり裏の人物が絡んでる様子で襲われた可能性もあると考えて探ってたんですが、服を引き上げるのを目撃した者がいると。そして住まいは分かりました。俺はそのアパートの近くに引越して奴の戻るのを待ってたんですが、未だ戻ってきません。ですが奴の部屋は家賃が1年分すでに払い込まれていました」
例の男の住所を書いたメモを見せると、ロイの言葉を待った。ロイは落ち着いた表情だが、なにかを考えている。
「…ほう、ここはなかなか良いアパートではないのか?借りていたとなると家賃もそれなりだろう。1年も先払いか?随分と金があるんだな。なのに手を出したのか?」
「はい。俺がこのアパートの住人にそれとなく聞き込んでたんですが、大人しい男だったそうです。俺の印象もそうでした。やばいことに手を出す男には見えない、というのが印象です。ですが、奴は妙な癖があって、何でも細かく書き込んで残すという、所謂、記録癖があるそうです」
「…記録癖?日記でもつけていたのか?」
「はい。まあ、要するにメモ魔ってやつですよ。」
「大佐、餌も奴が記録しているかも知れません。唯一拘束できなかった男ですから。これは…まずいですぜ?」
ランドはロイの表情を窺う。この黒髪の上官は落ち着いた顔をしているが、リスクは十分に解っている筈だ。
「マスタング大佐に限って滅多な事はないと思いますが、逆を言えばあなたは敵の多い人だ。あなたの足元を掬いたがる無能な連中は上にも下にも横にも大勢いる。俺たちは承知のうえですが、できればあんたには無事でいててもらいたいですな」
「全ては私が被るから。今のところ餌は無能連中に渡っていないだろう」
「・・・何でも被るのは悪い癖ですってば。もっと味方を作ったらどうなんです」
ランドの言葉に男は親友のヒューズにも同じことを言われたな、と思い出す。親友はエドワード=エルリックは友人足りえるだろうと言った。だが。今は見事に、対峙する、嫌われる間柄になってしまったではないか。男は足を組んで肩肘をつきながら、ふふ、と自嘲気味に笑いを落とす。
「? あんた、何笑ってんです?子どもにまで監視を付けたことが楽しいんですか?」
「・・・・」
心を読まれたかのような辛辣な問いかけに男は答えずに、明日にでも司令部に顔を出して少尉たちの報告を受けるように、と、ランドに指示を出した。
ランドが帰っていく後姿。それを窓から見遣りながら男は何かを考えていた。私はこうして後姿を見ていくだけだった。かつても。そしてあの少年の時も。そうだ、私に非難の言葉を残して去っていった彼。いや、今は彼を知る術もない。私は。ただ。


男は書斎の机の引出しを静かに開けた。
そこには飴色に馴染んだ革製のレターケースがあった。男は蓋を開くと一通の手紙を取り出した。それは亡きコンラッドからの手紙。ロイもまた少年達と同じように手紙を受け取っていたのだった。しかしその手には躊躇いがあった。何度読み返したところで何も変わらない。もう自分は進み始めている。男は溜息とともに手紙を開いた。


『友へ』
書き出しはただ一言。そこから始まる長い長い文面。

――― ロイ、君は見つけたのか。君の求めるものは見つかったのか?私にはそれが何か知る由もないが、君がいつも何かを求めている気がしてならないのだ。私にも入り得なかった君の聖域。彼は君のそれになり得るのだろうか。それとも君たちの出会いは相容れない心の積み重ねにしかならないのか…。君の捜しも――

そこまで読むと男は手紙を伏せて小さく呟いた。夜色の瞳が潤んだように遠くを見つめ、感情を抑えた声で名前を呼ぶ。
「… …」
そして頭を垂れて額を掌で抱え込む。さらさらと黒髪が流れて男の表情を隠したが、喉元が感情を呑み込むかのようにごくりと一度動いた。
それでも抑えきれなかったのか、顔を上げて今度はきつく握り締めた拳で机を叩くと、男は己自身に叫ぶように声を絞り出した。
「…!約束を…私は、約束を、守っているのだ!そしてそれ以前に、これは自分自身への誓約でもあるのだ!そうだろう、ロイ!ロイ=マスタング!これは私の誓約なのだ!」
男は手紙を引き出しに仕舞った。
彼の求めているものは、未だ、掌には遠く届かなかった。


深夜、ロイは眠れぬままにランドの報告をまとめていた。今までの経過を辿ると共にこの目的を思い返す。当初、捜査の目的は内通者を探し出すことだった。
東部は今やテロや反乱武装組織の力が増しつつある。そして頭の良い幹部を抱えて迅速な動きができる過激派は脅威でもあった。潰しても潰してもわいてくるテロ行為はあまりにも多かった。そしてそのうちに気付いた。かれらの動きが早いことに。あの列車テロの犯行声明の早さにふと頭をもたげたのは、内通者の存在だった。幾ら叩いてもきりが無い筈だ。幹部は逮捕できたものの、未だに協力者内通者が野放しでは、元を断てないではないか。 だったらこれを機会に一気に炙り出してやる。
資金を提供しているものもいるはずだ。金がないと話にならないからな。得をするのは誰なのか。
分かっているのは、危険を承知の上で、敢えて口元に特上の餌を投げてやらないと獲物は喰らい付かないだろうという事。




・・・サイレン?
 街の中心地から聞こえる音に、ロイは思考を中断して、目を瞬かせながら耳を澄ませる。
何か事件でもおきたのだろうか?だったら副官が直ぐに連絡を寄越す筈だ。いや、あれは緊急消火車の音ではないのか?男はペンを置くと窓際に近寄り、カーテンを持ち上げた。中心地よりやや高台にあるこの部屋からは街の様子が見て取れる。
遠くに夕焼けのように闇夜に浮ぶ朱の色と黒煙。



「…あれは…火事…!?」
男が事態を察知すると当時に階下の電話が鳴った。


黒い瞳の奥は焔を映すかのようにみえた。








05 09/09 UP





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