本  能         ACT 2. 不 信 者







「…それは本当か?」
中央(セントラル)の執務室の一つで、将軍らしき階級章の小柄な男が、振り返って副官にそう問うた。
ここ中央の将軍や高官の執務室は、地方とは格段にちがって格調と威厳ある雰囲気を持っていた。
広さも、調度品も。なのに、その部屋の主は、そういうものには無縁な感じの、脂ぎった、どちらかというとあまり品が良いとはいえない風貌の持ち主だった。
少し間を置いて、上官の問いに若い副官が答えを返す。この副官は見目の良い青年で、そして己の職務と上官に対しては、生真面目なほど忠実だった。
「はい、そういう噂を。私の知人がイーストシティの歓楽街の飲み屋で小耳にしたというのです。なんでも流し屋と買い屋の双方にかなりの緊張が走ったという話です。一体誰が仕掛けたのかは、今のところ不明ですが」
その将軍の副官は東部の友人から耳にしたという、買収容疑捜査のことを自分の上官に語っていた。
軍の中枢本部に使われる強化ガラスの大きな窓と、落ち着いたカーテンを背に語る副官は、報告、というよりはお耳に入れたいことが、という風であったが、その将軍は興味をそそられたらしい。
「念のために聞くが、お前の知人はお前にとって信用足り得る人物か?」
「はい。軍学校からの知人でして。かれは家の都合で退役してしまったのですが」
「ふむ」
将軍はこの前の中央に来た黒髪の若造のことを思い出す。
あの男の足元で、そういう捜査が行われていたとは、思いも寄らなかった。買収がどの程度の内容かはよく分からないが、不祥事らしき事態が起こっていたとは。なかなか面白そうではないか。
あの年であの階級と国家錬金術師の地位。先の内乱の英雄扱い。整った顔立ち。それでいてさらには何もかもそつなくこなす小憎たらしさ。小憎たらしいが、有能なのは認めざるをえない。
もちろんこれは妬みなのだろう。
が、あの若造のように持てる者に、私のような持てない者の心中は分かるまいよ。
この高官にとっては、ようやくここまで来た長い道のりを、いとも容易く歩くように見える東部の若き司令官は、何かと癪の種だった。
いまのところ自分が階級も地位も上だが、これ以上、上がってこないうちに、少しは潰してやってもよかろうよ。
そう思っていたのだ。
「だが、噂を小耳に挟んだ程度ではどうにもならん。確たる証拠が欲しい」
「はい。ですが、火の無い処に…、といいますし、疑惑だけでもかのお人を叩くには良い材料になり得ますかと存じますが」
「なるほど、お前の言うとおり、一考の価値はありそうだ…よし、今度の会議に提出してみるか。準備を頼むぞ」
上官の言葉に生真面目な副官は短い返答と敬礼をして、踵を返して執務室を出て行った。
残った高官は、革張りの椅子に腰を下ろすと、紙とペンを弄びながら品の無い笑みと共に呟いた。
「これから楽しくなりそうだ…」



「シェアをこれ以上占められない為にお前に頼んだのだぞ?時期としてはそろそろいいのではないか?」
「はい」
ごく短い会話だったが、お互いそれで通じたようだ。
「準備は整いました」
「これでよい。この国の経済は我々が牛耳るのだ。そのためには利用できるものは全て使い切るのだ」
新旧が混在するセントラルの金融街の街並みに在って、異彩を放つガラス張りのセンタービルの上階の一室での会話。今日も市場は賑わっている筈だ。潤いは我々が占めればよい。
このアメストリスの経済界では、業界の新規参入者と、古くからコンッェルンを成す財閥の老獪者たちとの間で、見えない対立が続いていた。
軍事国家であるアメストリスは当然ながら軍事産業が発達している。軍需は大きく、国家規模で成される経済企画も多い。それらは経済界に大きく潤すのだった。
もちろん表向きは国家に忠誠を誓っている愛国産業者ではあるが、かれらにとって重要なのは利益を得ることであった。そして軍部の中にも、経済界と通じようとする高官はいたから。
さらに経済人のかれらにとっては、反政府武装勢力のテロリストでさえも顧客であった。闇の部分の客として。
武器の需要は大きい。争いは多ければ多いほど儲かるのだ。彼ら経済人の中には、そういう図式を暗黙の了解として持つも者は多かった。
「それでは、例のお方を…」
「ああ、我々にとっての上客を無くしたくないからな。敵の敵は客だからな」
こほん、と咳一つして告げた。
「力を削ぐぞ」



「最近『彼』の姿が見えないようだが、どうかしたのかね?そう、そろそろ40日になると思うが・・・」
長い黒髪の「住人」は不自由になった利き手でスプーンを持って食事をとっていた。
「住人」はそれを独り言のように、食事を運ぶ係の兵士に話し掛けるのだが、兵士は会話を一切禁じられているので黙っている。
「住人」の指す『彼』とは、ロイ=マスタングのことで、「住人」はロイのことを気に入っているらしい。時折思い出したように一人でやってくるロイを、「住人」は住人なりに楽しんでいたのだった。この前は37日目ぶりにやってきたが、それからは男はやって来ない。
男の心中が手に取るように感じられるのが面白いのだ。そして自分をどうするつもりなのかと。実際、いつ処刑されてもおかしくない筈なのに。
外界と遮断されたこの「世界」は、自由で実に楽しい。かれの気が触れているといえばそれまでだが、「住人」の精神状態は極めて正常で、ロイが自分を飼い殺しにしている意図をあれこれ推測するのが楽しいのだった。そして、いつかやってくるであろう「迎え」を待っているのだった。
「ふふ・・・」
最後のひと口を食べ終えると、「住人」はまた壁の方を向いて、癖のように長い髪をさらりと撫でた。



セントラルの住宅街。庭に季節の花や木が植えてあって、明るい外壁が家庭的な雰囲気の一戸建て。
南向きのリビングで眼鏡の男が新聞を読んでいた。テーブルにずらりと並べた各種の新聞は、どれも朝一番の列車で届けられる地方紙で、これらを読むのが男の重要な日課になっていた。
そう、眼鏡の男はマース=ヒューズ中佐であった。
「…あ"?…ああああぁ!?」
すすっていたコーヒーを噴出しそうな勢いで素っ頓狂な声を上げる。細い目が丸くなった。
彼が読んでいたのは、東部の中央紙とタブロイド紙で、両紙を並べて同時に読んでいたのだが、それはどちらも大きく報じていた記事だった。しかも両紙が同じ見出しで。
『イーストシティで大規模火災発生』
さらにタブロイド紙にはこんな見出しが続いていた。
『焔の錬金術師の膝元で大火!軍は何をしているのか?』
「本当かよ?だったらロイのやつ、一体なにやってんだぁ?こんなタブロイド紙なんかのくだらないネタになりやがって!馬鹿垂れが!俺は情報をまだなんも聞いてないぞ!…おっとこうしちゃおれん。直ぐに情報部で詳細を問い合わせなきゃならん」
そういいながらヒューズは、コーヒーの残りとワッフルの残りを一度に口に入れた。
「あら、あなた、もう行くの?今朝は随分早いのね」
妻のグレイシアがそう言いながら軍服の上着とコートを持って来る。ヒューズは妻と娘に急いでキスを落とすと、大慌てで出勤していった。
(ロイのやつ。大人しくしてると思ったら、こんなことであいつに疵をつけてたまるかってんだ!頼むからどうかテロ行為の出火でないことを祈るぜ!ちきしょう!馬鹿野郎!俺は不安だったんだ。あのときのあいつがやけに儚げに見えたのが。それに、あいつは書類を偽造してた…!何故何も俺に言わなかったんだ!何故俺に応援を求めないのだ!ロイ!…ロイ!…ロイ!)



「鋼の!」
思わず声が大きくなったが、残りの言葉は敢えて飲み込んだ。ううん、と小さく声を漏らしたものの、エドワードはまだ眠っているから。額に巻かれた包帯が目に入った。軽い火傷と聞いたが怪我をしているのだろうか。生身の手にも包帯が巻かれている。大丈夫だろうか。いや、私は彼を心配する権利など無い筈だ。しかし。
明るい金髪に汚れが目立つ。火事場での灰や煤が付着しているのか。
意外すぎる場所で、こんなふうに現れた少年にロイはもういちど息を飲んだ。さすがに驚きを隠せない。
大火の後のイーストシティ。シティに彼が戻ってきているとは全く思わなかった。あれ以来旅の空にいるものと思っていた。報告書はきちんと郵送されていたし。しかも、ここは軍の医療収監所ではないか。怪我や病気の容疑者、不審者を一時収容する所だ。いったい何があってここに彼がいるのだ。兵士の手違いだろうか。いや、それ以前に、あの彼が身分を名乗らずにいたこと自体分からない。それにいつも一緒の筈の弟はどうしたのか。冷静な司令官であるロイも、少なからず思考が乱れていた。
彼に何かあったのだろうか、と。そのとき。
うん、という声と共にエドワードが目を覚ました。そして。暫く宙を彷徨っていた金色の眸が、男の姿を捉えた。
エドワードは、相手を認識すると
「…た い さ…!」
そう一言落とした。








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