爪 き り         ACT 2. 爪の無い指先を








男はそこまで喋ると、ほうと嘆息を一つ落とした。アルコールの所為なのだろうか、普段よりよく口が回ってしまっているようだ。
少年はこんな男の一面を知らなかった。少年の知っているのは、東方司令部の執務室での難しい顔と副官に怒られて困っている顔、それから部下の面々と陽気そうに酒を交わしている顔(エドワードにはジュースしかもらえなかったのだが)、中央の煩いお偉いさんたちの質問に慇懃無礼なほどの態度で答えている顔。嫌味のこもった鼻持ちならない顔、そしてふっと一瞬だけ優しく見える顔、それらの顔が全てだと思っていた。だから。今日の、今夜のロイの饒舌は、意外な一面と過去を知る結果となった。
「それがきっかけで、私はコンラッド少将の部下となった、少将は私の初めての上官となった・・・それからしばらくは、少将は私をご自分のテントに呼ぶたびに、ハサミを取り出しては爪を整えた。」
くす、と思い出し笑いをしている。内戦の渦中にあってすらなお懐かしい思い出なのか。
「そんなに何度も、あんたの爪、を、かい?」
エドワードも遠慮がちではあったが、ロイの話に、興味をそそられていることには間違いない。
あのじいさんが気さくな人柄なのはわかるが、そこまでやるとは思わなかった。それに、ロイもおとなしくしたがっていたというからびっくりだ。
えっと、なんだっけ、じゃじゃ馬ならし、じゃなくて、事実は小説より奇なりっていうんだったっけ?少年は小首を傾げて話を聞いている。
「ああ、そうだ。あの方は私のことを意外と手先が不器用だといって、面白がって爪をハサミで整えるのだよ。お蔭で軍人らしからぬ爪になってしまったがね」
ロイは酔った顔でエドワードの方へひらひらと手を振った。確かに男の指先は軍人としては先細りで指や爪が長い。無骨者の軍人の手、とは良く使われる表現だが、この男には相応しくなかった。錬成陣の手袋を良くはめている所為で日焼けや手荒れもほとんど無かった。
エドワードも常に手袋をしているとは言え、旅から旅への暮らしで僅かではあるが、日焼けをしている己の生身の指先を思った。少年らしさは残しているが、関節は太くなってきていて、少年期から青年期への変化が指先にも現れているのだろうか。エドワードは自分の手をちょっぴり恥じた。
酔いがかなり回ってきたのか、話方が先程よりややゆっくりになっている。古い椅子に体を預け、グラスを落としそうになるくらいブラブラさせて、男は目を閉じていた。眠っているのではない。きっと遠い過去に記憶の欠片を捜しに行っているのだろう。

「・・・鋼の。」
不意に男が少年を呼んだ。思いがけず優しげな声で。
「・・・なに?」
それに戸惑いながらも素直に返事を返した。
「手を見せなさい。それから足も」
「・・・はッ?」
唐突な男の言葉に、今度は自分は疑問符だらけの頓狂な声を出したに違いない。一体何を思いついたのだ、この男は。
「いやなに、私も閣下のように部下の爪を切ってみようと思いついてね。どうせ君のことだ。弟に言われるまでほったらかしで爪先が曲がってしまっているのだろう。肉に食い込むぞ」
そう言いながらロイは立ち上がった。男の酔狂な提案に、エドワードはびくりと肩を竦ませる。何を考えているのだ、大佐は。他人にされる爪きりだなんて、生身と機械鎧を比べられているみたいで冗談ではない。嫌だ。
俺の爪を切ったのは幼なじみのウィンリィだけだし、大佐に手を触られたのは鉄橋で落ちそうになったとき。あれは緊急事態だったし、助けてもらったんだし、仕方ない。けどそれ以外には人に触られたことも無い。ただ、コンラッドのじいさんは俺の手をぎゅっと握ってくれたけど・・・。だからって、大佐に爪きりをさせる理由にはならないはずだ。
「・・・ほっとけよッ!アンタに心配されるいわれは無いさ!」
酔っているくせに、真面目な顔をしながら近寄ってくる男に、後退りで狭い部屋をじりじりと逃げるうちに、少年はとうとうベットの縁に到達してしまった。
しまった!
それを見越したかのように、男がにやりと笑い、エドワードの肩を軽く、とん、と突付いた。すると、ぼすっと音をさせて、少年は再びベッドの端に腰掛ける格好のようにしりもちを付いたこととなった。近寄る男が、黙ったままで、少年の足元にしゃがみ込み、エドワードの厚底のブーツの紐を緩めにかかった。
「やッ、やめろよ!」
だが、男は有無を言わさぬ手際で靴紐を解いてゆく。そしてエドワードの右足が取り出され、靴下も脱がされて素足が露わにされた。
「・・・ふむ、意外と白い足をしているのだな」
「・・・なっ」
片足を取られても、もう片方の機械鎧の方の足で男を蹴り飛ばすには、さすがに気が引けたのか、エドワードはおとなしくしている。
「確かここに・・・。ああ、あった」
ロイは片足に手を添えたまま、サイドボードから、小鋏をだすと、平然と切り始めた。
小ぶりの先細りの鋏が軽快な音を立てている。
深夜、ランプの灯火の屋根裏部屋で、少年の足元にひざまずき、爪を整える大人。外はやんだ雨に替って、月と風の唸りが支配し、その狭間に聞こえるぷち、ぷち、という乾いた音は、この一篇の夜の童話のような光景に不思議な現実感を与えていた。二人にランプが影を落とす。

エドワードはすっかりおとなしくなって素直に足を任せている。ロイの言うように、常に旅の空にあった自分の足爪は先が丸くなっており、肉に食い込んでいる部分もあった。そんな箇所をロイははさみの先で持ち上げるようにして切り過ぎないように注意して整えてやる。
「次は手だ」
黙って手を差し出す少年だったが、向かい合う形では手は少し切り難いとみえて、男は苦戦している。そしてはた、と思いついたように少年に告げた。
「・・・む。これじゃ、切り難い。鋼の、君の後ろに回っていいか?」
「・・・え・・・・?」
「後ろから君を抱き囲うようにすると良いかと思ってね」








 06 03/20 初回UP         





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