爪 き り         ACT 3. それぞれの戦場








「えっ?」
エドワードはロイの言った意味がすぐには分からなかったらしい。
「ふむ、君の身長だと私の中にすっぽり収まって丁度良いかと思うがね」
酔ったロイはエドを怒らせるようなことを平気で口にする。
「…ああ、そうさ、どうせドちびだよ」
むっと口を歪めて、そう言いながらも本気で怒っていないことが何となく分かる。エドワードは実はさっきからこの男の指先の感触が心地良いのだった。でもそれを口にすることはとうてい出来なくて、それで黙っておとなしく爪切りを任せているのだ。
本当はこの男は嫌いだった。そうだ、あれからもう3年になるのか。手足を無くした俺の前に現れて、いきなり叱責したのもこの男だった。おおよそ、同情とか哀れみとか、そういう言葉や態度とは縁遠い男だと思った。
それでもただかわいそうだと言われるよりは、はるかに良かった。惨めな子どもにも意地ってものがあったから。それから利用する、利用されてやると公言して憚らぬ間柄になった。石の情報と引き換えに彼の手駒となること。
そう思ったことがはるか昔のことのように思えていた。そして深夜の屋根裏部屋で、エドワードはロイに言われた通りに、彼に身を預け手を差し出している。こんな奴に抱かれるのは嫌悪感があったが、いざ実際にそうしてみるとロイの人肌が心地よいのに気付いた。

(おかあさん)

コンラッドの夜の庭で、泣いていたのを見られていたのに違いないと、今ははっきり確信を持てる。
だから。この男はあんな酷い裏切りと利用をしても、なおもこんなふうにエドを抱くのだ。
ぷち、ぷち、と小さな音が響く。
屋根裏部屋のベットは狭くてちいさいが、爪きりのために寄り添うには丁度良かった。
エドは考えていた。この男の本音の場所を。それは心の奥底なのか、それともかれの心の天上の蒼なのか、それとも見えない燻りを掌にのせたその中にあるのか。
恩人であるコンラッドとの出会いを語ったかと思うと、見事に裏切って利用しきった空恐ろしさ。じぶんもまた彼を信じかけていた矢先だったから、衝撃は大きかった。
だが自分に対するロイの行動には腹は立たなかった。自分への怒りはあったし、男には男の思うところがあるというのも理解できた。ただ。初めから完全に駒にされていた自分に腹が立つのだ。自分が何も知らずに招待されたことや資料の便宜を図ってもらった裏に何があったか気付かなかったことが。自分の小度モップ利に腹が立ったのだ。いまもそうだ。
この黒髪の男は不思議だ。非道なことが出来るくせに妙に繊細なところも併せ持っている。裏切りと信頼と、欺瞞と高慢と謙虚と。相反するもの全てが詰まっているように思えた。
それにしても足を広げた男の間に、すっぽり収まる格好になっていると、何だか小さい子どもみたいでこそばゆい。アルコールの匂いが少しするが、かといって乱暴に扱うわけでもない。黒い真っ直ぐな髪が時折エドワードの額を掠めてくすぐったかった。夜寝る前に髪を解かしてくれた母親の髪の感触を思い出す。俺は金髪だけど、アルはよりかあさんに似てブルネットだった。母を無くした直後はアルのその髪の色さえも羨ましいとも思った。俺は、何を受け継いだんだろう・・・・
「・・・痛くないか」
エドワードはロイの声ではっと我に返った。
「えっ、ああ、痛くない、 大丈夫」
「君は深爪だな。尤もその機械鎧では微妙な加減は分からないのだろうよ」
そういってロイは爪きり鋏の反対側についた小さな鑢で整えてやっている。
「あのときは・・・君の右手に救われた」
突付けて男が言った。
「鉄橋で時限装置を外すのに君の右手のお蔭で難なくカバーをあけることが出来た。感謝している」
「そんなことまでまだ覚えていたのか。おれにはどうってことないし、右手が機械なのは普通のことだ。別に感謝されなくっても良いよ」
エドワードは大佐が小戸得ていたことが嬉しかったのだが、素直に口に出せずに照れていたのだ。それでついぶっきらぼうなへんじになってしまった。
「ああ、傷はどうだ。もう痛まないか。通院しなくかていいのか?」
イーストシティでの大火の傷を心配しているらしい。
「あ、あと1回病院に行けばいいって」
「そうか。ちゃんと行きたまえよ。君はいつももう大丈夫と無理をするから」
シティの大火で思い掛けない再会をした二人が、とぎれとぎれえではあるが、いまこうして穏やかに話を交わせるようになっている。
「・・・ところで、そのイシュヴァールの話になるが、爪がはがれてしまった時に初めに手当てしてくれた衛生兵がいた。・いま、思い出したが、何故だろうな。彼は幼なじみだったのだが。 君に似ているからかもしれない。真っ直ぐな瞳を持って、妥協を許さず、正義感も強かった」
ひとりごちるように、ロイは遠い目で淡々と語る。
「あの、…その、そのひとは今はどうしたの」
「戦死したよ。いや、正確には行方不明のまま戦死通達が出されたというべきか。爆撃で病院の瓦礫の下敷きになって、いくら捜してもそいつの遺体は出てこなかった。ちぎれた手足や臓物も散らばっていたから、人物の特定は困難だった。・・・それで、戦死さ」
「そうか・・・」
エドワードはそれ以上何も聞けなかった。戦場という所は自分の想像のはるか上を行くものらしい。死ねばお終い。生きれば英雄。単純かつ複雑な2構造になっているのか。
「さ、これでいいだろう。私が大総統になったとき、膝に乗せて爪きりをした人物として君の名を残そう」
「・・・ばッ・・!!」
笑いながら軽口を叩くロイの笑顔が思いもよらず優しくて、困ってしまったエドワードは、傍にあった枕を男に投げた。酔っていてもロイはひょいとかわす。そして今度はエドワードの方に投げ返す。ロイのよいコントロールで羽枕は少年の顔面を直撃し、はずみで彼はベッドに転がった。
「ぷぁッ、なにすんだよ」
「おいおい、鋼の錬金術師ともあろうものが枕にやられてしまうのかい?」
そう笑いながら男はエドワードに近寄ると、彼の腕を取り、引き寄せた。
「・・・・・・?」
その引き寄せ方が、あまりにも自然で、抵抗も出来ないほどだった。男の意外な行動に声も出ない少年。
そんな彼を男は再びベッドに倒した。
「なっ、・・・にすんだよ!」シーツの上にエドワードの金髪がさら理と広がった。男はこんどこそ彼の髪に触れている。
「鋼の。いや、エドワード」
ロイはエドワードと呼び、幼子を慈しむように金色の髪を撫でながら抱きしめたのだ。
嫌いなはずの男に抱きすくめられたのに、少年は抵抗できなかった。しなかったのだ。
男の温もりが記憶の底にあるようで。ああ、ただ、この温もりは、あの道が分かれてしまった雪の日の部屋の温もりに似ていると思った。
「エドワード」
男が再び名前を静かに呼んだ。
「これから我々の行く道は、また分かれてしまうのかもしれない。それでも。私が君を心にかけていることには変わらない。いい訳だというのならそれでもいい。今はただ黙って聞いてくれ。たとえ君を利用し、傷つける日がまた来るかも知れない。それでも、だ。我々は我々の戦場を行かねばならない。時に交わり、離れる道だ。」
ロイはエドワードを抱きしめたまま動こうとはしなかった。彼の言葉は自分自身に言いきかせているかているかのようにもとれた。
男の胸は少年が思っていたより広く大きかった。重なったシャツの上から互いの心臓の鼓動が伝わり、いま、生きているのだと実感できた。
エドワードは母親以外にこんな風に抱かれたことは無かったから、この彼の腕の中にいる自分の感情が分からなかった。ただ、いままでずっとこの男ののことが心に引っ掛かっていたのが氷解するように、あるいは糸が解れるように、じょじょに緩んでいった。ああ、俺は。この男に理解されたかったのだ。対等でいたかったのだ。

「・・・そうそう、いっておくが、私は今回国家錬金術師の査定委員の一人に推挙された。これでまた道が広がるだろう。そのためにも君には是非良いものを書いてもらいたい。嫌な話に聞こえるだろうが、利用はするが君も私を利用しろ。よい査定等級をえることによってより特典と権限が広がるぞ。君の目的に近付くことも出来るだろう。」
黒髪の男は、それ以上は何も言わずにしばらくエドワードを抱きしめていた。

彼が何の意図で、抱きしめたのかはよく分からないが、コンラッドの庭で一人で泣いていた埋め合わせを今しているのかもしれない。それはエドワードの直感だった。男の抱擁は暖かかった、優しかった。

そして、男は暫しの逡巡の後、エドワードの顎を取って、上を向かせると、ゆるやかな接吻をした。
ただいちどきり。









 06 04/01 初回UP         





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