7   国 家 錬 金 術 師        










「はー、なんか景気の悪そうな町だなー」
「ほんとだね。町が荒れた感じがするね」
「この地方はあんまし治安がよくないってきいたことはあるけど」
二人は今夜の宿を探していた。ここ駅前通りは、町のメインストリートであるはずなのに、どこかしらさびれた感じがする。 商店街もあるが、客足はまばらな感じがする。
エドワードたちは南部寄りのとある小さな町に到着していた。 イーストシティからこの町は遠く、列車の連絡も少ない。 時刻表をめくっていろいろ調べ、最短の乗り継ぎで来たつもりだったが、 それでも町に入ったのは、ロイのもとを発ってから2日近く過ぎていた。
ここへ来るまでの移動中、エドワードはもういつも通りに見えた。 ぼりぼりと頭を掻き、退屈だといってはベンチに寝そべり、腹が減ったといっては車中で甘い菓子を食べていた。 そんな兄を見ながら、今度はアルフォンスが密かに悩んでいた。



あの日。
散歩に行ったまま、暗くなってもなかなか帰ってこない兄を気にかけ、アルフォンスは窓から通りを眺めていた。街灯に照らされる道往く小柄な少年の姿を見るたびに、目を凝らしていたが、兄の姿はまだなかった。暫く見ていると、見知った顔が歩いてくるのに気付いた。
「…大佐!」
男はふと足を止める。頭上から降ってきた、聞き覚えのある柔らかな子どもの声に、顔を上げた。見ると、中程度の小さなホテルの2階に、鎧の姿があった。
やあ、君たちの宿はここなのか、とロイは声を返す。白いシャツに黒のベスト、上着を着た姿は、いつも見る軍服姿とまた違い、男の雰囲気を変えていた。司令官の面影は薄く、それはただの市井の男に見えた。 自分の姿を見つけ、通りへと降りてくるアルフォンスにロイは目を細める。
「…あの、兄さんに用があって来たんじゃ。散歩に行くといってまだ帰ってこないんですけど」
申し訳なさそうに、かつ、礼儀正しく弟はそう告げる。
「いや、たまたま通りかかっただけだよ。君が声をかけなければここに泊まっているとは気付かなかった。君の兄さん …鋼の、は…いや、なんでもない」
ふっと視線を宙に泳がして言葉の途切れた自分を見つめるアルフォンスの気配を察したのか、男は静かに返す。
「君は本当に優しい子だな」
同じ兄弟でも本当に違うものだな。兄の方はどうも読めないというのに。
「…大佐だっていつも気を遣ってくれてるじゃないですか。感謝してるんです」
ああ、そうか。弟は肉を持たない分、感覚が鋭敏なのだ。何事にも察しがいい。こちらが望んでいるものをごく自然に返してくる。 ロイの目はさらに優しくなり、そして、じゃ、失礼するよ、と戻っていった。アルフォンスは、ロイが通りを渡って見えなくなるまで後姿を見送っていた。風が薄桃色の花弁を、鎧の足元にふわりと置いた。


10分も経たないうちに、エドワードが帰ってきた。春の夜はまだまだ冷えるのに、上着も持たずに出て行き、唇を青紫にしている。しかし、幾分は元気になったのか、熱いお茶を美味しそうに飲み始めた。その様子から、途中でロイには会わなかったとみえる。どうしよう・…黙って見つめる弟の視線を感じたのか、エドワードはカップを口から離して目をぱちくりと開いて訊ねる。
「ん?俺の顔になんかついてるか?」
アルフォンスは慌てて手を振った。

…といういきさつがあったのだが、アルフォンスはロイに会ったことをずっと兄に言いそびれていた。 言わない方がいいような気がしたから。 兄さん、もういつも通りだけど、弟としては知らんぷりしていた方がいいんだろうな。 何かあったのかは解らないけれど。 今のぼくが顔に出ない体でよかったよ。 鎧の弟は、あーあと大きなため息を、心の中でひとつ落としたのだった。



「おうっ、アル、ホテルって看板があるぞ!」
宿を探して、通りの端まで来たエドワードは、歓声を上げる。薄汚れてはいるが、いちおう営業しているらしい。 めんどくせーからもうここに決めようぜ、とエドワードは先に立って走り始めた。
ぎぎい、と建付けの悪い古いドアを押し開け、カウンターに向かうと、主人らしき男が顔をあげた。子どもと鎧の組合せに怪訝そうな顔はするが何も言わない。二人も毎度のことなので慣れてしまった。初めの頃は要領が悪くて苦労したものだが。
兄が宿泊の手続きをしている間、アルフォンスは壁に貼られたこの国の大きな地図を眺めていた。 真ん中がセントラル、そのまわりにノース、サウス、ウエスト、そしてイーストの四大都市。 それらを取り巻く道路網と鉄道網。平野、山脈、峡谷、など。 わが国って、地形が結構複雑だよね、えーと、現在地は、ここは、この町は… 地図を見るのは結構好きなんだよ、面白いから…アルフォンスは指で鉄道を辿っていく…
そんな弟を見て、兄は大声を出す。おーい、なにやってんだ、ほら、部屋へ行くぞ!

「ねえ、兄さん」
「ん?」
ホテルのベッドにだらしなく寝そべったエドワードが顔を上げる。床に座った弟がポツリと落とす。
「ぼくたち、二人きりの家族だよね」
「ああぁ?アル、お前、いきなりわかりきったこというなよ!…なんなんだよ、俺、眠いんだけど?」
のそりと身体を起こして、エドワードは訝しげに弟を覗き込む。
「ん、なんでもない、へんなこと言ってごめんね。おやすみ」
何だか不安になっただけ、という言葉を飲み込み、アルフォンスは、またお腹出して寝ないでよ、と言い添えながら、エドワードに毛布を掛けてやる。 しばらくして、灯りの消えた部屋の中で、毛布を被ったエドワードは弟の方をそっと見る。肉の無い弟は寝る必要はないが、それでも休息はいるだろう。感覚が鋭敏になった分、休まないときっと精神が参ってしまう。だから気付かれないよう、毛布の隙間から金色の目だけを覗かせて弟を窺う。
(アル、俺のこと気付いたのかな。ごめんよ)
もういつも通りには見せてはいたが、本当はエドワードは、あの日のことをずっと心に引っ掛けたままだったから。 あの泣きたくなるようなものの正体は、恐らく。何となく気付いてはいるがはっきりと名を成さないもの。形の無いもの。そして思わず口にしてしまった…俺は酷い子どもだ。
(軍属としてはきっといい扱いじゃねぇのかな、こんなガキに。だけど、それじゃ。だって、それに)
自分でも整理のつかない感情をどう表現したらよいのか。思考が同じ振れ幅で行ってはまた戻る。
(俺はただ…)
なにをどうしたいのだろう。エドワードにはわからなかった。



それから数日滞在したが、噂に聞いた目的の物は結局見つからず、二人は通りのレストランで腹ごしらえをしていた。 わびしい感じがするこの街は失業者が多いのだろうか。通りにたむろする男たちが目立つ。レストラン兼酒場のこの店で、昼間っから、酒を飲んでいるものもいる。 それでも昼間は夜よりはまだいくぶんか人が多い。生活のにおいもする。汚いアパートにも洗濯物は干され、窓際で女性が仕事をしながら唄を歌っているのが耳に入る。怒る母親の声と、それに続く、わぁんと甲高い子どもの泣き声も。
ふと道端に目をやると、中年の男が、棒で地面になにやら描いている。 大人がなにお絵描きで遊んでんだよ?失業者か?が、よく見ると、錬成陣らしきものに見える。エドワードは目を見張った。そして急いで弟をつつく。
「アル、あれ」
二人がそれを確かめようとした時には、陣らしきものはもう消されていた。男は足で踏み消したらしい。なのにまだ棒を持って考えている様子。次は別のものを描くのだろうか。固唾を飲んで見守る二人の子どもに男は気付かない。棒を動かしかけたとき、裏路地からいきなり数人の男たちが現れ、男を取り囲んだ。はじめは大人しく話をしていたが、やがて声が荒くなり、もみあいが始まった。胸倉を掴まれた男が、顔を殴られ地面に倒れる。 黙って見ていられなくなったエドワードは、遂に席を蹴って立ち上がると男に駆け寄り、やめろよっ、と割って入った。突然割り込んだこの小さな少年に、男達は目を丸くして思わず手を止めた。
「…なんだ、このガキ。へっ、威勢だけは良さそうだが、怪我をしないうちにおうちにかえ…」
最後まで言い終わらないうちに、エドワードは男たちの膝を蹴り、体を曲げたところを狙って次々と沈めていく。子どもと思って舐めていたら、鮮やかな攻撃に形勢不利になり、騒ぎに気付いた人も集まり始めた。まずい。
「ちっ、とんだ邪魔が入ったからまたな」
男たちはぺっと血混じりの唾を吐き捨てると、エドワードを睨み付けながら去っていった。 殴られた男が服をはたきながらようやくよろよろと立ち上がる。と、手を差し出す大きな鎧に男は目を見張る。
「あの、大丈夫ですか、家までお送りしますよ」
アルフォンスの柔らかな口調に安心したのか、男は無言で頷いた。


「世話になったね。どうもありがとう。私はアラン・ドリー。この町の臨時教師です」
男はうらぶれた感じはするが、なかなか知的で礼儀正しい。エドワードとアルフォンスも名乗る。
男の住まいは街の裏通りの古い一軒屋だった。ちいさいが見かけよりは内部は清潔に保たれている。
「旅の人かい。こんな町に君たちのような若い人がやってくるなんて」
さあ、どうぞ、とドリーが椅子とお茶を勧める。茶をすすりながら、 部屋の中を見回すと、衝立の向こうに粗末なベッドと衣装箱があり、その脇にはこれまた粗末な机が見えた。そして部屋の大部分を占める書架には医学関係と化学関係の本が詰まっている。錬金術の本も見える。質素な生活ながらも、なかなかの勉強家らしい。
「あのぅ、ドリーさんはお医者さんか錬金術師なんですか。さっき錬成陣みたいなの描いてらしたでしょう」
エドワードが尋ねようかと迷っていた疑問を弟があっさりと口にする。ドリーは不躾な質問に、気を悪くする様子も無く、微笑みながら返事する。さきほど、特に抵抗もせず、黙って殴られていたことといい、どうもこの男は穏やかで優しい人柄らしい。
「おや、錬金術を知っているのかい。残念ながら少しかじっただけで、才能なんてないから。私はただの雇われ教師だよ。 初級学校で子どもたちに理科や化学を教えているのさ、簡単な実験をして見せたりね」
ドリーは授業の内容や実験の話を始める。二人にとってそれは分りきった内容であり、そして故郷の学校を思い出させるものであった。やがて、ふと、思い出したように、言葉を詰まらせ、息を落とした。
ドリーはお茶をひと口すすると、重たげに呟いた。 ―― この国の錬金術師は、国家錬金術師は、不幸だ、と。
男の思い掛けない言葉に二人は顔を見合わせる。ドリーは更に言葉を続ける。
「イシュヴァール。この名は聞いたことがあるだろう」
二人が黙ってこくりと頷くと、ドリーはとつとつと話し始めた。

ああ、そう、あの長い内乱だよ。繰り返される抵抗に業を煮やした国がとうとう錬金術師を投入したんだよ。
…そしてね、どんな錬金術がどんなふうに使われたか、見てきたよ。 私?私は民間人だが医学の知識があったので、軍医の手伝いとして招集されたんだよ。 だから知っているんだ。戦場をね。
東部の内乱には多くの人が巻き込まれたよ。男も女も子どもも老人も敵も見方もそんなものは一切関係無い。 もちろん、イシュヴァールの人が、一番不幸なのだろうがね。 あの戦いでは、多くの国家錬金術師が潰されたよ。使うだけ使って使えなくなれば棄てられる。だって彼らは兵器だろう。消耗品と同じだよ。 戦死した者、逃亡した者、資格を返上した者、心を侵され犯罪者になった者。 あらゆる意味で傷を負わなかったものは一人もいないよ…
ドリーの話は生々しく、エドワードはそれを聞きながら、ポケットの銀時計を思わず握り締めていた。 銀時計につながれた鎖が、しゃらん、と小さく乾いた音を立てた。アルフォンスは一言も喋らない。少年たちの胸は重く苦しく、過去の真実と現実が波紋のように次々と広がり心を疼かせる。国家錬金術師とはとてつもなく重いのだと今更ながらに思い知る。それでも道を行かなければならないのだろう…

さらに話は続く。
あの戦いで錬金術そものものも不幸になったと思うよ。 優れた技術をもった人が、軍の狗と呼ばれてしまう…
そこまで話すと、ドリーは急に咳き込み苦しそうになった。顔色が変わり、汗もかいている。辛そうだ。
「大丈夫ですか?!」
二人があわてて背中をさする。ドリーは椅子に躯をぐったりと預けて息をしている。数分後、荒い息の隙間から言葉を落とした。
「…いや、すまんね、ここ数年ちょっと体を悪くしてね」
この街でのこの質素な暮らし振りでは、栄養のあるものもあまり手に入らないのではないか。部屋を見渡す二人はそう思う。皮肉なものだな、俺はその国家錬金術師の研究費でカネにはまったく困らないというのに。恥じるような居たたまれないような。これ以上この人の家にいちゃいけないよな…
「あの、俺たち、もうそろそろ失礼しますから、どうぞ横になって休んでください」
そうすまなさそうに告げて、腰を浮かせる少年を遮り、ドリーは訊いた。
「この町はいつ発つんだい」
「えっと、あの、明日にでも」
「そうかい、ちょっと待ってもらえないか。頼みがあるんだ」
ドリーはのろのろと立ち上がり、本棚の前に立った。その場所を捜していたのか、やがて彼は棚の間から、本とノートの束らしきものを取り出した。かなりの厚み。 余程大事な物なのだろう、それらは油紙で包まれ、さらに革紐で、幾重にも、きつく固く束ねてあった。ドリーは束を少年達の前に置く。
「これをもらってもらえないだろうか」
二人は顔を見合わせた。


…うん、実は、恥かしいけど、これは私が手がけた錬金術でね…さっきの男達はこれを狙っているんだ。 彼らの中には流れ者の犯罪者もいて、錬金術を欲しがっているんだ。その筋に売れば良いカネになるからね。 どうやら、私のこんな稚拙な錬金術の研究でも欲しいらしい。 もちろん内容は私の暗号で書かれているので他人にはまず分らない。 それでも万が一、解読されて、悪用される可能性がないとはいえない。 君たちは初対面だが、錬金術を知っているようだし、悪用しない人物とみた。 だからもらってくれないか。もうここには置いておけないだろうから。恐らく次はないだろう。 …私は不幸な錬金術を作りたくないのだよ。

「そんな大事なものを…!」
エドワードは驚く。自分には分る。少しかじった程度の研究であろうと、内容が稚拙であろうと、それは、 一度でもこころざしたものにとっては、神聖なものではないのか。通りすがりの旅人である自分たちを見込んでくれたのは嬉しいが、俺には荷が重過ぎる…俺は流浪の身だし、第一それに…
躊躇う少年の負担を和らげるかのように、ドリーはこう言う。
「だったら等価交換だ。意味はもちろん分るだろう?君たちは私を助けてくれた。そして話を聞いてくれた。 私はそのお礼をしたい。どうか受け取ってくれないか」
ドリーの目は真剣そのものだった。優しげで控えめな瞳は静かに深く語り、二人に縋ろうとしているように見えた。 この男はこれを託せる誰かを待っていたのかもしれない。
「そういうことなら等価交換として受け取ります」
エドワードもまっすぐな目でそれに応えた。




翌日。 一日に一本しかない列車を待ってエドワードたちは駅にいた。
ドリーの研究は、トランクの奥に大切にしまってある。 旅の途中では開かない方がいいと二人は判断した。 イーストシティに戻ったら、落ち着いて紐解ける日まで、貸金庫にでも入れようと相談して決めたのだ。 人の研究を譲り受けるとは、そういうものだと二人は思うから。
列車が鈍い金属音と共に到着すると、二人は黙って乗り込んだ。 目的のものはなかったが、ドリーに出会ったことは良かったと思う。 ほんの1日だけの出会いであったが、彼の役に立てた気がするし、既に彼は大切な存在となった。しかし、もう会うことはきっとないのだろう。 そういう思いが二人を口数少なくしていた。
エドワードは複雑な思いを抱きながら、服の上からポケットの時計に触れる。内乱に関わった人にとって自分は理不尽な存在であるのは間違いないが…男はそれを知る由もない。
列車は振動を規則正しくし始めていた。まばらな乗客は欠伸をしたり、窓を開けて、のんびりと外を見ている。抜けるような青空が眩しい。その空の下では世界は平等に美しくあるように思われた。
頬杖をつきながらぼんやり座っていたエドワードが、ふと外を見て小さく叫んだ。それは、遠くに見える人影は。
「あれは…あの人は…」
大急ぎでデッキに向かって走る。 男は町外れに立っていた。駅ではなく、その場所で列車の通過を待っていたのだろう。 この人は、俺たちのような通りすがりの少年に研究を託した。それで最後まで気に掛けているのだろうか。エドワードの胸に熱いものがこみ上げた。
男はデッキのエドワードが、自分の姿を見つけたのを認めると、略式ではあるが敬礼する。 その姿に一瞬驚いたエドワードも、何かに気付いたように慌てて真剣な表情で礼を返す。 お互いの姿が見えなくなるまで。
列車は黒煙を吐きながら、ますます速度を上げていった。






04/08/25 初回UP
05/01/23 加筆UP





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