9   火 傷       ACT 1










銃口を突きつけられ、人質となった司令官の姿。 発火布の手袋をむしり取られ、無力となった国家錬金術師だ。 それは味方を躊躇させるには十分だった。自分たちの将が囚われたという眼前の事実に、じわじわと動揺が広がっていく。これはまずい。男の冷静部分が眉根を寄せる。
「…お前たち、何をやっている!私に構わず撃て!私ごと撃たないか!!」
男の叫びに、部下たちは戸惑いながらも銃口を向けはするが、敵の余裕さえ感じさせる不敵な笑みを見るにつけ、引鉄を引ける者は誰もいない。殆んどは近くの者と顔を見合わせ視線を逸らす、あるいは睨みつけるのが精一杯だった。隙あらばと果敢に銃を構える者もいたが、直に男に呑まれてしまって動けなくなる。
圧倒的な形勢逆転、司令官の生殺与奪を握っているのはこの男だと認めざるを得ない。
「ほお…マスタング君は部下に愛されていると見える。残念だねぇ…私がこんなに愛しているのに」
男は銃を突きつけたまま、ロイの耳朶をちろちろと舐めあげる。粘りのある唾液と熱い息が耳から首筋へと伝い落ち、ロイはその不快さに思わず身を捩る。
「…っ!」
ロイが悔しげに顔を歪めるさまに、男は嬉しそうに声を上げて笑った。
「…おやおや、君は純情なのだね。素晴らしいよ」


その数時間前。
エドワードは、電話ボックスの前で首をひねっていた。 軍への電話が通じないのだ。
「おっかしいなー。交換係まで行かないんだよー」
「どうしたの。ここの電話、故障してんじゃないの。古そうだ。」
さっきから背伸びで小銭の投入と、ダイヤルの回転音を繰り返させている小柄な兄に、弟は首を傾げている。
「えー、でも呼び出し音はするぜ…じゃ、別のを探して、も一度かけるとするか」
そう言われれば確かに古い。余り手入れされていなさそうな電話機だ。だったら別のを試してみるか…だが、別の電話でも結果は同じだった。 軍への番号のあとに数字コードを入れ、交換につながったら、今度は口頭で単語コードを言う。 やや面倒だが、それでつながるはずなのだが。それなのに、電話から聞こえるものは、呼び出し音だけ。いくらやっても人が出ない。司令部の交換にはたくさんの係りがいるはずなのに…
(故障かなにかあったんだろうか。それとも)
緊急時に対処する為に軍の回線は常にメンテナンスされている。そうそう簡単に故障するとは思えない。
「…もしかして、オレのコード、消されてる?」
突飛な発想だが、そうだったら分る。いくらかけても登録されてないものは交換台にまで辿りつく筈も無い。
(だって今までこんなことなかったぞ)
そう、いままでは2回ほどの呼び出し音で交換が出た。俺の声を覚えてくれている人も多かったんだ。なのに…どうして? エドワードは、急に不安になった。考えたくないけど、まさかとは思うけど、権限のあるのは…アイツしか… しばらくすると怒りも込み上げてきた。そしていきなり弟にがなりたてた。
「アル、今から東方司令部に戻るぞ!」


乗り換え駅は混んでいた。
ちょうどバカンスの終わりの頃で、休暇を避暑地や故郷で過ごした人たちが、都会へと戻ろうとしている時期だった。 そのためか、時刻表に載っていない臨時列車が増発されているらしく、駅構内に大きく告知が貼ってある。 エドワードはそれを書き取り、手持ちの簡易時刻表で路線と乗り継ぎをたどって行く。少しでも早く戻れる乗り継ぎにしないと、少しでも早く大佐の顔を見ないと…
(なんかよくわかんないけど、文句はいってやんないと)
運良く空いた列車に乗り込んだエドワードは、ともかく司令部に戻ることで頭がいっぱいだった。途中の駅での停車時間さえも惜しくてもどかしいと思う。訳の分らないまま、座席にただじっと座っているのもじれったい…
途中になんか止まらなくていいから、さっさとイーストシティに着けよ!なんだよ、なんでみんな楽しそうに嬉しそうに信じきった顔してんだよ!自分の苛立ちと不安を、他の乗客に心の中でぶつけて少年は歯噛みする。 この前別れたときの男の顔が何度も浮かぶ。
(オレ…)
不安と不審が小さな火傷のようなひりひりとした痛みとなり、少年を絶え間なく苛みつづけていた。


「さあ、車を用意させろ」
男が後ろ手に拘束したロイを引き摺るように自分の傍に寄せた。負傷した仲間を抱えた男たちが、軍に銃を向けながらそれに続く。てこずらせただけあってかなり訓練されているとみえ、軍と微妙な距離を保ちながら脱出しようとする彼らには全く隙が無い。 ハボックもブレダも唇をぎりりと噛むだけで、この場の誰もがこの状況を打開できないでいた。
(…せっかくここまで追い詰めたのに)
悔しいがロイを危険に晒せなかった。男の言葉通り、部下達はみんなこの司令官を慕っていたから。腰を抜かした例の兵士は、自分に話し掛けてそして庇ってくれた黒髪の若い男が司令官だと知って、今度は驚倒しそうになっている。顔はべそをかいていた。他の者も少なからず複雑な胸中で、ただ黙ってみているしかなかった。
「では、道を開けてもらおうか」
軍の人間は余程悔しそうな顔を曝していたのだろう。隙無く目を動かして場を読みながらも、男の表情は実に楽しげだった。ロイの体を抱えるようにして自分と密着させると、悠悠と歩き出す。司令官殿の生身の盾はいい感じだねぇ、と、くくっと囁きながら。
(断じて逃走はさせない。まだチャンスはあるはずだ。きっと)
(落ち着け、落ち着くんだ)
男の淫猥な言葉の挑発に無表情で耐えながら、ロイは自分にそう言い聞かせていた。まだ、きっと。


「…兄さん待ってよ」
イーストシティ駅の改札を、急ぎ足で抜ける兄を追いかけて、弟が言う。ともかく司令部に行き、男に文句を言うことで頭が一杯の少年は弟を構ってやる余裕は無かった。思い込んだら一筋、的な兄の性格を承知している弟は、急に東部に戻ると言い出したことも問いただしてはいなかった。
駅舎を出ると、振り向きもせず、エドワードは慣れた道を司令部へと急ぐ。しかし、通りはいつに無く混んでいる。どうやら道の一部が封鎖されていて先へ進めないので、それで迂回した人や車が溢れているらしい。ぼやいている人もいる。 …何だ?事故でもあったのか?ちっ、急いでいるのに遠回りしなければならないのかよ…苛立つエドワードの耳に聞こえたのは。―― 向こうのオフィス街で軍の出動があったらしいぜ。
突然の胸騒ぎが少年を襲った。ざわざわと肌が粟立つ。
少年は何を思ったのか、急いでロータリーから辺りを見回した。すると200メートル程先の交差点で、数人の憲兵が銃を持って封鎖と検問をしているのが見えた。よし、この先か。エドワードは、そこを目掛けて走り出す。近づく人間は少ない筈なのに、いきなり飛び出して、封鎖を突破しようとするちいさな少年と鎧に憲兵は慌てて銃を向けた。
「こらっ、きみ、何をするんだ!この先は入れない!」
強行突破は罪が重い。もし、エドワードがもう少し大きかったら警告無しで撃たれていただろう。でも今のエドワードにはそこまで考えが及ばない。
「はなせよっ!…そうだ、これ!」
制止する憲兵は、少佐等格を意味する銀時計を見せられて驚愕する。小さな少年を離すと慌てて敬礼し封鎖を解いた。エドワードはちいさく礼を言うと、一目散にオフィス街へと走り出した。
(…俺は…そこに行かなきゃ!)


男はロイを引き摺りながらビルの外に出た。注意深く周りを見回すと、建物前に止められた車に少しづつ近づく。ロイの体を密着させて決して離そうとはしない。仲間もロイに銃口を押し付けてそれに続く。もし、軍が近づいたら、軍の弾が一発でも発砲されたら、仲間に当たったら、奴らは即座にこの人質を撃ち抜くのだろう。 過激派に抱え寄せられたままで引き摺られるロイは、口を半開きにしたままあさっての方を見ている。そんな司令官の姿を訝しげに見詰める者や、首を振って諦める者もいた。焔の大佐と呼ばれる人なのに、彼は何も出来ないのか…俺たちの、東方の司令官は、結局只の人だったのか…
(…駄目だ、このままでは…逃走されるのか…)
何とかチャンスを作ろうと、遠巻きにしながらここまで来た部下たちは、皆がそう思った。もう10も数えない内に彼らは司令官を連れて逃げてしまうだろう。 仲間の一人が車のエンジンをかけた。ロイは密着されたままで変わらず引き摺られている。幹部の男の手が車のドアにかかった。 その時。
ドギューーーン!
一発の銃声が走った。


(はあッ、はあッ、はあッ)
息を切らしながら少年はひたすら走りつづけた。封鎖されて人気の無い市街に自分の心臓の音だけが響くように思える。もう少し、この先に違いない。路上に割れたガラスの欠片が散乱しているのが目立ち始めた。建物の外壁に被弾の痕も見える。軍の痕跡を勘で追いながら、だんだんと漂ってくる火薬の臭いを頼りにエドワードはその場所を捜す。裏路地から角を曲がった。急に開けた視界の先には、軍と少し離れた場所に武装した男たち。そして黒髪の男の姿が少年の目に入った次の瞬間。 エドワードたちはそれを見た。
一発の銃声と、掌を撃ち抜かれてのたうつ男を。逃走しようとする男たちを阻む焔を。そして入り乱れる軍を。

「…あ…うッ、こんな隙間を、私の、手だけを、ううっ…狙った…の…か?!」
ぼとぼとと血を滴らせてのたうちながら、男が睨みつける。 すでに手袋を取り返したロイが笑う。
「私には鷹の目の部下がいるんでね」



過激派幹部及び関係一味の拘束。 味方に多少の負傷者は出たものの、目的は達成された。現場検証と撤収の為の部隊が到着すると、現場部隊はやっと戦闘が終わったのだという実感を得ることが出来た。とりあえずは生き延びたことを感謝しよう。
その夜、東方司令部は大いにわいた。参加戦闘員は言うまでも無く、非戦闘員に至るまで、皆、心地良い興奮を共有していた。本当に長い長い一日だった…
そんな中、軍とともに司令部に戻ってきたエドワードは、ロイに厳しく詰問されていた。
「鋼の。なぜ君があそこにいたんだね。封鎖されていたのに。第一、こんなに早く戻ってくる予定じゃないだろう」
…すると君は銀時計を使って封鎖を突破してきたのか…呆れた使い方だね!一体どういうつもりなのだ。君は戦闘員ではないぞ!男の荒い言葉に怯みもせずに睨みつけながら少年は返す。
「…大佐がオレのコードを消すからだろ」
少年の言葉に男は瞠目する。間があって、男は語気を落として少年を見返した。少年は金色の瞳で真っ直ぐに自分を見据えている。
「…そのことか」
黒い瞳が揺らいで男は少年に背を向けた。見慣れない土色の戦闘服の背中が汗で滲んでいる。首筋に黒髪が張り付いている。少し前まで現場にいたという名残。エドワードは暫くそれを見つめていたが、背中を見せたまま黙って立っている男についに荒い声を投げつけた。
「やっぱりアンタがやったんだな!なんでだよっ」
「落ち着きたまえよ。作戦上の必要だ」
ため息まじりで振り返ると、少年を宥めるように男は手を振った。そして更に独り言のように付け加えた。
「…しかし、かえって裏目に出てしまったな。まいったよ…」
「はっ?何の事だよ。ちゃん教えろよっ」
ロイに迫りながらも、作戦上の必要といわれると、エドワードは内心引け目を感じてしまう。 あの時、自分の目に飛び込んできた現場は、まさに戦場で、自分の知らない世界で、見たことのない普段とは違うロイがいたから。 ハボックに怒られながらも、こっそりと見せてもらったあのフロアは惨状も凄まじく、しばらくは声も出なかった。めちゃめちゃに壊れた室内、壁にのめり込んだ弾丸、床に転がる無数の薬莢、血痕、怯えた兵士の嘔吐物、銃弾が掠って千切れた軍服の切れ端、血糊を付けたまま床に散らばる書類。生々しい戦闘の痕跡は数え切れないほどあった。初めて見た戦闘現場。 正直、心底、怖いと思った。脚が震えた。そして、一方では、なぜか置いてきぼりにされたような、そんな思いが芽生えていたから。

ホークアイが狙撃班を解散させ、司令部に戻ってきた。 報告する中尉に男はねぎらって声を掛ける。
「ご苦労、中尉。今日の成功は君のお蔭だ。ありがとう。心から感謝する」
作戦の功績を独り占めせず、必ず部下に感謝する。これはこの男が自分で決めた掟だった。一心同体ともいえる副官に対してもその態度を崩さない。彼らもそれを知っているから全力で男に付いて行く。
「いえ、私はただ大佐の指示通りに」
額に残る汗に金色の前髪を張り付かせたまま、ホークアイも嬉しそうに微笑む。鳶色の瞳が興奮で煌めく。
「…そう、みんな不思議がってますよ。あの状況でどうやって狙撃のタイミングを計ったんだって」
ハボックたちが訊ねる。 エドワードもそれを知りたかった。遠目では見えたが、実際の話を聞いてすぐには信じられなかった。 男の手が車のドアに手を伸ばした、ほんの数センチ程の隙間を見事に狙っていたから。射撃の腕はいうまでも無い中尉だが、 少しでもずれたら、犯人よりも、まずロイの身体を打ち抜いただろうから。
名前のとおりに鷹の目を持つ美貌の狙撃手は答える。
「大佐が『今だ、撃て!』と言って、僅かに身体をずらして下さったから。だから車と大佐の身体の間に見えた奴の手を撃ち抜けたの。位置も良かったし」
「だって、大佐は引き摺られて違う方を見てたでしょ。第一、あの距離じゃ指示は聞こえないッスよ」
そうだ、大佐の通信機は男に引き千切られていたのだから。男の指示はもちろんのこと、誰の声も届かない筈なのに。それに大佐は俺たちじゃなくてどうしてあらぬ方を見ていたのだろう。そんな周りの疑問を読んだかのように男が答える。
「私は意味なく見ていたんじゃない。自分の位置を考えて、第1班のいる方向を見てたんだ。中尉はきっと私を見ているはずだから」
「スコープで大佐の表情と唇の動きをずっと読んでいたの。きっと指示が出ると思って」
いつもの表情だが、頬が赤い。まだ興奮が冷め切っていないのだろう。 見事な連携プレイ、阿吽の呼吸。事前に決めた訳でもないのに、男が人質となったのはアクシデントだったのに、 離れていてもそれができるのは、お互いの間に深い信頼があってこそ。 皆がロイとホークアイの見事な種あかしに納得して頷く。
(作戦の成功を喜ばなきゃいけないんだろうな。それなのに)
なんだか自分の居場所が無いような気がして、いたたまれなくなり、エドワードはその場をそっと離れた。
胸の中の小さな火傷がまた疼いた。









04/09/03 初回UP
05/02/02 加筆UP





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