ねがいごと 〜 冬の夜の出来事       

≪おことわり≫ 明るい話ではありません。









「もうすぐお祭りだ!」
「冬の星祭りだよ!」
「う〜ん、俺は何をお願いしようかな?」
ひとびとの間では、老若男女を問わず、挨拶替わりのように、こんな会話が楽しげに交わされる。

『奇蹟の夜祭り』、『冬の星祭り』。そう呼ばれる大切な季節の行事。
その昔、大陸の古い宗教の聖者が、冬の夜に奇蹟を起こしたとされる言い伝えからきているそうだ。星も凍てつくような冬の夜、その聖者は不思議な力をもって天に祈りを捧げた。すると、天から無数の星が降り注ぎ、奇蹟が起こった。奇蹟は太陽が昇るまで続き、ひとびとは驚き、感謝し、こぞって願いごとを叶えたという伝説。

内陸にあり、四方を山々に囲まれたこの国は、冬の寒さが厳しい。伝説は、そんな冬の暮らしを彩るための祭りとなっていた。 12月にはいると人々は慎ましやかだが、家を飾る。玄関を飾り、窓を飾る。商店街は華やかに、通りは常に掃き清められ、古い教えを未だに守る教会は、この季節、信者でなくとも扉を開ける。そして、奇跡の日とされるその夜は、街には蝋燭を手にした人々が集う。


*


さく、さく、と雪を踏む。すると雪は靴の下できゅっと音を立てる。振り返るとそこには、右と左で深さの違う、自分の靴跡だけがついている。
今日は一年で一番昼の短い日。夕刻の訪れとともに寒さは一段と厳しくなった。普段の白手袋の上に毛糸の手袋をはめているのにもかかわらず、凍てつく夜が少年の生身の指先の感覚を奪い去る。少年は立ち止まり、左手にはぁと息をかけて暖める。
祭りの夜。その祭りの夜のために、灯りを控えた家々の窓は、寒さに閉ざされている。やがて広場が近づくにつれて徐々に人が増えはじめた。自分しか歩いていなかった細い道は、いつの間にか蝋燭を手にするひとたちが歩いていた。雪明りと蝋燭の零れ灯を標に歩む。しかし、道行く人はただ静かに歩んでいる人が多い。
…きっと永遠に決して叶わぬ願いを心に持っているのだろう。そう、俺のように。


橙色に揺れる焔(ほむら)灯りが増えた。広場は蝋燭を持った人たちが集まり、陽気に願いごとを語り合っている。漏れ聞こえる内容は、どれも他愛の無い可愛らしい願いごと。だって今夜は冬の星祭りなのだから。だが、一角では静かに祈りを捧げる人もいる。だって今夜は奇蹟の夜祭りなのだから。この夜は一晩だけの願いが叶う。明日になれば新たな太陽とともに普段の生活が始まる。陽気さと厳粛さと。渾然一体となる今夜。その混沌こそが、いにしえの聖者の奇蹟に相応しい。

少年は中央広場の祭りの賑わいを抜け、やがて軍用地にほど近い郊外地区に辿り付いた。はずれに建つ小さな家。彼は赤い外套から手紙を取り出すと住所を確かめ、扉を叩いた。
するとやや間があって扉が開き、なかから黒髪の男が顔を出した。
「…来たな、鋼の」


男は蝋燭を手に少年の先を歩く。家の灯りはついていない。蝋燭に照らし出される廊下の壁に、大小の影がゆらゆらと揺れて映る。己の影の大きさに潰れてしまいそうな感覚にエドワードは思わず目を瞑った。
招き入れられた古い部屋には暖炉が赤々と燃えていた。古いが造りのしっかりした煉瓦の暖炉。自分で揃えたのか、暖炉の脇には程よい大きさの薪も積んである。途中でちらちらと降り始めた雪は、この部屋の暖気で溶けて、赤い外套の上で水滴となってしまっている。エドワードは、ほうと息をつき、外套を脱ぐと、暖炉の前に座って黙って手を翳し始める。
ちらつく雪が窓に触れてさやさやと囁くような音を立てる。テーブルの上の蝋燭の火がかすかに揺れる。 ぱちん、と薪が音を立ててはぜた。立ち上がる一瞬の火の粉に、エドワードの顔が揺れたが、動こうとはしない。
「…寒いのか」
「機械鎧が冷えすぎて接合部分が疼くんだよ。ちょっとした凍傷みたいなもんだけど」
「酷く痛むのか」
「…大丈夫さ。暖めて血行を良くすれば治る」
静かに燃える暖炉の火にエドワードがくっきりと浮び、床に影を落とす。男はそっと少年の背後に回り、暫く黙ってその後姿を見詰めていたが、不意に髪に手を伸ばす。
「髪もすっかり冷え切っているな…」
そう言うと、エドワードの三つ編みを結ぶ赤い革紐をするりと解いた。驚いて振り向く少年に構わず後から手を回す。
「先ずは抱いて暖めてやろうか」
「…ッ!嫌だッ、離せッ!何だよ、何言ってんだよ!…あ、大佐、アンタ、酒の臭いがする!」
「いいじゃないか、今夜は特別の夜だ。そうだろう」
後から手を回したまま耳元に言葉を落とす男を、エドワードは何度も身を捩って振りほどく。
「セントラルまで俺を手紙で呼び付けて…!耳よりの話があるって言うから!アンタ、こんな事をする為に中央に来たのかよ!それに何だよここは!アンタの家じゃねぇだろ!?」
エドワードは荒い息で肩を弾ませ、怒りもあらわに男を睨みつけると、暖炉の前からから身を引いた。自分が仕掛けた悪戯で身を震わせる少年に、男は黙って対峙する。
「………」
「なんか言えよ! ロイ=マスタング!」


「これだ…」
そう短く告げると、ロイはポケットから小さな布袋を取り出した。そして、テーブルに中身を出すと、蝋燭を吹き消した。
暫くすると。テーブルに出された中身は徐々に赤くなる。それは水晶のような透明度のある固形物。その中心に小さな赤い点が現れ、点が大きさを増すにつれて赤い光も増えていく。やがてきらきらと血のような深紅の輝きを放ち始める。
エドワードはごくりと息を飲むと、無言でロイを見る。
「…まず始めに言っておくが、これは君の探し物ではないと思う。これは私がセントラルの古物店で手に入れた。出所や成分は不詳だが、文献や伝説で伝え聞く処によると、交換触媒としての力が少なからずあるらしい。どうだね、興味深いだろう」
エドワードは驚きで目を見張る。
「…それって、何を交換できるんだよ」
「分らない。物質か精神か。あるいはそれは……願いごとなのか」
「ねがいごと?それは結局何かをつくることだろ?」
「…奇蹟と呼ぶのかもしれない」
黒い瞳に赤い光が映り、それは流した血のように見えた。


凍てつる風が古い家を軋ませた。
「そこでだ」
ロイは言葉を区切ると、暖炉に新たな薪をくべた。勢いを増した炎はぱちぱちと音を立てる。
「私はこれで願いごとをしようと思う。今夜に相応しい願いを。鋼の、君も心に願いごとがあるだろう…」
その言葉にエドワードは一瞬表情を変えた。ロイはエドワードを凝視すると、見透かすように薄い笑いを浮かべた。エドワードは目を逸らす。
「…そんなの迷信だ、奇蹟なんてありっこない!アンタ、酔ってるんだ!」
「迷信だろうとなんだろうと試してみる価値はある、そうだろう、鋼の。君なら分るだろう」
椅子に腰を下ろし、両の手で顔を覆うと、ロイは呻くようなため息を苦しげに落とした。エドワードも心の奥の叶わぬ願いを思い、ため息をつく。それは、その先は…。



広場に小山のように積み上げられた常緑の針葉樹。ひとびとはそれを取り囲み、蝋燭の火を落とす時を待っている。聖者に敬意を表し、奇蹟を朝まで守るための火。



白い雪は窓を叩く。
ロイは赤い石を握り締め、目を閉じる。掌から零れ落ちる赤い光は、流れる血のように肌を染めた。
「アンタ、まさか本当に今夜だけでもと願いごとを…そうか、そのためにあそこに近いこの家を…俺を!やめろよ!」
エドワードの悲痛な叫びが聞こえないかのように、ロイは立ち上がると厚い外套を羽織り、防寒具を身につけると、振り向いて問うた。
「鋼の、願いごとをしないのか。ならばこれは私が使うぞ。いや、君の願いごとはこうだろう」
「言うなッ!今日のアンタどうかしてる!」
「人体錬成が叶わぬなら、もう一度、一晩だけでも、母親が生き返らないかと思っている…違うか?」
男の抑揚の無い声が冷酷に無慈悲に容赦なく心を抉る。ああ…!エドワードは耳を塞いで目を瞑る。あの日の"母さん"が脳裏に蘇る。
(そのとおりだよ…やっちゃいけないことをした俺が望むことじゃないって…それでも、奇蹟があるなら、叶えて欲しい…)
心の淵を暴かれて顔を背ける少年に男はさらに告げる。
「出かけてくる。ここで願うだけではどれほどの交換が出来るか分らないからな。実際に…」
廊下に靴音が消えていき、間もなく扉の開閉音が遠くに聞こえた。エドワードはそれを夢の中のように聞いていた。



郊外地区は家屋も少なく軍用地が多い為、殆んどが平原のようだ。そのなかの丘陵地に向かう白く銀色に凍った道に、さらに白い雪が降りしきる。乾いた雪は、外套に触れるたびにさやさやと鳴き、地面に落ちる。ロイは凍てつく夜の中を黙々と歩く。掌の中にはあの石を握り締め、心で願う事はひとつ。もう一度だけ。今夜だけ。
凍てつく道を、エドワードは小走りになってロイの後を追いかける。赤い外套の前をぴっちり閉じ、普段は被らないフードを被って。それでも雪が服の隙間から入り込むたびに、身体がどんどん冷たくなっていく。凍てた道は、エドワードの脚を何度も滑らせ、小さい体を白い地面に叩きつけた。向かう先は、丘陵地にある軍人墓地。
丘陵地が見え始めた。と、遠くで光が走った。ロイが錬金術で鉄柵の入口を開けたらしい。エドワードはそれを目印に走り出した。もう数え切れないくらい脚を滑らせてようやく辿り付いた墓地の入口。冬の深夜の墓地は灰色の無数の墓石が群れ、そこだけぽっかりと穴を開けた違う空間に、生者も死者も集うような、得体の知れないものに取り囲まれたような錯覚。だが、ロイの姿は白い薄闇に見失ってしまったようだ。エドワードは数え切れない墓石の間を縫うように捜す。走って汗びっしょりになった肌に解かれた金髪が張り付き、寒風で凍えてひりひりと痛む。やがて、墓石の前に蹲る黒い固まりが見えた。
「…ロイ=マスタング!!」
叫ぶ、男の名を。だが、男が振り向きもせず掌を翳すものは、白い薄闇を照らす、墓石に置かれた赤い光を放つ石。別人のように恍惚となる男に、夢中で駆け寄り、飛び掛かる。
「よせっ、よこせっ、酷いことはやめろっ!そんな物を試すな!」
「鋼の。それを返せ!いけないか、今夜だけでもあいつを取り戻しては…私は…取り戻すんだ、私とあいつをッ!」
絞り出すような悲痛な叫びをぶつけ合い、男と少年は雪の上を転がる。奪っては奪われ、石は二人の間を行き来する。風は鋭い悲鳴を上げながら、灰色の墓石と男と少年の間を駆け巡り、白い雪が鳥の羽を撒き散らすかように荒れ狂う。聖なる夜に死者の眠る地面の上で生者がそれを妨げようとしている。
――俺は、もういちど、お前にききたいことがあるんだ…お前は俺の友でいてくれたが、それはお前にとって幸せだったのか? 知りたいんだ…お前にしか分らないことなんだ…お前が命尽きる前に思ったことは何なのだ…頼む…!ああ、かみさま、あなたがほんとうにいるなら俺は何でもします、赦されなくてもいいから…!
「違う!奇蹟なんてない!幻覚を見せるんだ!そんな石はまやかしだッ!ほんとうに奇蹟だとしても………!アンタ、親友を2度も死なす気のかよ…」
ロイの拳が一瞬止まった。エドワードは涙目に顔を歪めながら続ける。雪は降り続け、墓場の二人を白く隠そうとする。
「…俺は、2度も、死なせてしまった…!だから、たとえ心で思っても決して叶えてはいけねぇんだよ!…生きてる者のエゴなんだよ!」
「……!」


風がふと止んだ。雪は止み、突然雲が晴れた。
膝をついて項垂れた男の姿と、地面に転がる少年の姿が浮び上がる。それは白灰色の雪明かりではなく、金色の明かり。こうこうと照らす光に二人は言葉も無い。驚いて見上げる冬の天空には月が浮かんでいる。そして。
はじめは一筋、そしてもう一筋。突然澄み渡った冬の空を、大きくよぎるようにそれは次々と増えていく。遥か彼方に、去るかのように、消えゆくように、流れる無数の星、星。



「みて、みて、星が流れるよ!」
「ほら、あんなにたくさん!」
「生きてる間に見られるなんて!」
無数に流れる星に広場に集うひとびとは歓声を上げる。ああ、これこそが聖者の奇蹟なんだ、と口々に呟きながら。
そして蝋燭が針葉樹に落とされる。瑞々しい緑樹をぱちぱちといわせながら燃え上がる祈りの炎。やがて、誰からとも無く、ひとり、ふたり、と静かに祈りを捧げ始める。



暖炉の炎に影が浮ぶ。二人の影がひとつになって。薪が、ぱち、と控えめにはぜた。床に広げた男の外套の上で、少年は切なげな声を落とした。互いの体温で自分が生者であることを確かめるかのように、どちらからともなく重ねた身体がゆるやかにうねり、離れ、また重なる。腕の中にいながらも、少年は男をちいさい子どものように抱きしめる。
――墓場からの帰り道、二人は何も言葉を交わさなかった。降り注いでは彼方に消えゆく星星を見やりながら、凍てた白い道を黙って歩いた。冷え切った身体に、接合部がまた疼いたが、その痛みは己の命の証に思える。生まれては消え、消えては生まれる星、そして命。大海へと流れるもののひとつに過ぎない、それだけのものかもしれない。
でも、もし、奇蹟やかみさまが存在するなら。少年は流れる星に、黒髪の男の幸せと己の見果てぬ願いを祈らずにはいられない。この祈りこそが、ねがいごとであり、今夜の奇蹟なのだろう…
窓の外、星星は凍てつく空を流れ続ける。


床に転がった石はすっかり光を失っている。暖炉の炎は熾き火となった。崩れた薪に白い灰が舞い、僅かなあかりのなかで、二人は静かに眠りに落ちる。冬の奇蹟の夜。



新しい太陽の光は、もうそこまで来ているに違いない。
全てを元通りに、何事も無かったかのようにするために。
きっと白い雪に煌めくような朝日を携えて。






--END--




*04/12/25UP  
季節企画のつもりなのに、あんまり降誕祭らしくないです…明るくないです、地味です(汗)
冬至は古代から再生を祈る儀式が行われた日。





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