10   駅       










装備を整える為の指示が飛び交うと、司令部はにわかに慌しくなり、やがて人員が抜けると部屋は急に静かになった。 エドワードはそれをただぼんやりと見ていた。急に緊張が緩んだ為なのか、眠っていない頭が痛む。額を押さえながら、彼は弟に無理に作った笑顔を向けた。
「さ、アル、オレたちは帰ろう。ここにいたって仕方ないし。」
「…そうだね。もうお邪魔だものね。」
懸命に考えていた先程とは打って変わって、横にいる兄の小さな身体が余計に小さく見える。 アルフォンスはエドワードの肩にそっと手を添えて、労うように一緒にドアに向かった。 ノブに手を伸ばそうとしたそのとき。
「鋼の。君たちも来るか、見届けるか」
一番最後に司令室を出て行こうとしていた男が、追い越しざまにエドワードに言う。 金色の目が見開かれた。
「だって、これは大佐の仕事なんだろ。アンタはじめにオレにそう言ったじゃん」
傍らに立つ男を見上げる少年の顔には、明らかに不信の色が含まれている。俺はもう用済みの筈だ。深入りするなと言ったのはアンタの筈だ。これはプロ対プロの仕事だと。
物言いた気に、きゅっと一文字に結ばれた少年の口元と、上がった眦。それでもそこに少年らしい昂ぶりと躊躇いとを同時に見て取った男は、更に告げる。
「今更物分り良く大人しくしているのは君の性に合わないだろう。それに協力を要請したのは私だ。 鋼の。改めて言う。私に同行して責務を果たせ。これは上官命令だ」







夏の終わりの太陽は、名残のようにぎらぎらとその位置を頭上近くにしていた。
山間部の間道に密かに止められた数台の車。一見、普通の中型貨物積載車であるが、内部は軍用トラックとして機能するように作られている。 見通しと移動が容易な箇所をいくつか選び出してロイはそれらを止めさせていた。 ここはそのひとつで、問題の列車が通る路線の直線部と山間部の間にあたる。 車は対側からは見えない位置にあるが、少し離れればこちらからの見通しは容易であった。
現場に到着した彼らはトラック内で交替で休息を取りながら、絶えず入る通信に神経を集中していた。
あの突入から男は一睡もしていなかった。何かあったらすぐに起こせとだけ言い置いて、現場までの移動時間をひたすら眠り、今も別の車で横になって眠っている筈だ。こういう状況下では、上官が眠ることは大事な仕事のひとつだった。疲労の残った頭では適切な判断を下せない、そして、自分が寝ないと部下も寝にくくなるからだ。大事な戦力を保持させるのは上官の義務でもあった。
少年も先程までは泥のように眠っていた。男と同じ車に乗り込んだ少年は、移動中は知らぬ間に男に凭れて寝ていたらしい。目を覚ました時、男の肩が真横にあった。慌てて男から離れた。だが、エドワードは自分の顔が触れていた男の軍服の一部を色濃くしてしまったのには気付いていなかった。


予定された現場は今はまだ平常を保っていた。緑濃い山々は、抜けるような青空を背に薫立ち、そして鳥や蝉の鳴き声を、まるで男たちの存在を隠すかのように、遠くに近くに響かせていた。



「・・・ねえ、ホントにこの列車だと思う?」
エドワードはトラックに凭れて、尾根を走る線路の彼方を見やりながら、不安げにホークアイに訊ねた。寝起きの乱れた三つ編みは、薄っすらと汗が滲み始めている黒いタンクトップの背中に張り付いている。
問い掛けられた中尉は、少年の横で銃を解体清掃していた。彼女は足元に散らばったパーツを組み立てながらの返事を寄越す。
「…そう信じるだけのものがあるからここにこうしてるんじゃないの?…」
「だったらいいけど。もし、俺の考えが違ってたら、たくさんのひとが…そう思うと…俺…怖い…」
不安定な口調に、中尉は、おや、と思う。作業中の手元からは目を離せずにいるので、少年の表情は窺えないが、普段の彼なら、天才的な頭脳から起こされる理路整然とした根拠を、滾々と説いてみせるだろうに。ここにいるのだって彼が上官に示したものではなかったのか。
そういえば、この2、3日、彼はいつに無く感情を見せている。心の揺れを、自分でもどうしたらよいか判らなくて戸惑っているのだろうか。
「ええ、そうね。私も怖いわ…でも大佐がいらっしゃるわ。自分が信じられないなら大佐を信じればいいのよ。」
カチリ、と組み立てたライフルの動作確認をしながらホークアイは答える。
「…え…?自分の代わりに大佐を信じるって…?」
その言葉に少年は目を見開いて、意味が分らないというように小首を傾げてみせた。
それって自分を捨てることじゃ…俺は今まで自分だけを信じてやってきたから、だから、信じる代わりなんて作れない。自分が駄目ならそれで終り、の筈なのに…だいいち、自分の分らないことを他人が代わりに信じるものだろうか…?
「心を委ねるってことかもしれないわ…」
ますます分らない、と、困った顔になって、少年は膝を抱えて黙り込んだ。
(―― そんなことは、そんな人の信じ方は、俺は…知らない…)



「処理班からの連絡はまだ入らないのか…」
3つ目の停車駅から乗り込ませた処理班からの連絡を待って、男は苛立っていた。
十分な休息を取ってかなりの余裕ができた筈なのに、期すべき報告がまだ得られてはいなかったからだった。 列車を止めて乗客を下ろす策も鉄道局と考えた。 だがそれをすると、過激派が爆破時刻を早め、犠牲者を増やす可能性の方が余計に高くなる、両者はそう結論を出した。あるいは要らぬ刺激を彼らに与えてしまう可能性もある。この状況下では、これ以上の事態の悪化と、更なる事態の発生は、なんとしても避けねばならぬ。 混乱を避けるためにもこっそりと見つけてこっそりと処理しなければならない。
停車駅は全部で5箇所。 だが2箇所はすでに過ぎ、4番目はイーストシティ、5番目は終着のセントラル。 大都市では大半の乗客は降りてしまう。だからこそこの間のはずなのだ。

「…大佐ッ、連絡が入りました!」
通信班が男を呼んだ。男は受信機を受け取りながら確認する。
「おい、処理班の周波数は元から替えてあるのか。今更傍受されるなよ」
「はい、周波数は1時間ごとに変更を。処理班とは前もって打ち合わせ済みですので」
担当の返答に頷きながら、男は思考を巡らせる。
(こちらが傍受されないなら、向こうも傍受できなくしているだろう。 まるでお互い目隠しゲームだ。だったらどちらがより多く先を読むか、だ)

太陽がより眩しくなる。衣服は汗でじっとりと濡れ、機械鎧の身体は太陽を吸収して熱を持ち始める。事態の状況が分らぬまま、木陰に身を寄せる少年に、時間と緊張だけが重く圧し掛かり、彼は大きく息を吐き出した。
「兄さん、僕だって心配だけど落ち着きなよ。ちょっと息抜きに山の景色でも見たら。 たまには違うもの見るといいかもよ。これ、少尉が貸してくれたから…」
同じように太陽を避けていた鎧の弟は、言葉の割には特に心配そうな口調でもなく、ほらっ、と軍用の双眼鏡を投げて寄越す。
おい、弟よ、お前はホンットお気楽だよな、と呆れ感心しながらも、エドワードは風景を見始めた。こんな状況で無ければ、夏のハイキングとでもいえるような、美しいのどかな山中。きらきらと煌めく太陽と白い入道雲の夏空、耳を澄ますと微かに聞こえる渓谷の流れ。遠くに山肌を臨み、近くには白い花をつけた樹木がたくさん茂っている。 …リゼンブールにあった母さんが大好きな花に似ている。葬儀の時にも飾ったけ。 ああ、そうか、アルはこれを俺に見せたかったのだろうか… 白い花に囲まれて永遠に眠る母の顔を思い出し、エドワードは鼻の奥がつうんと痛くなった。やがて視界が滲みそうになる。
(おっと、いけない、いけない)
そして慌てて向きを変え、直線部の先にある渓谷に架かった鉄橋を見てみる。あ、これだろうか。アルが景色がいいって言っていたのは。でも俺はやっぱり覚えが無いや。 ――うわ、高そう。って、俺は去年通った時寝てたらしいし…ちょっと惜しかったな。
その鉄橋は双眼鏡でも相当の高さと長さを感じ取れた。 少年らしい好奇心で、また対象物を変えようとしたその時、双眼鏡は、きら、と小さく光るものを僅かに捕らえた。
「……」
エドワードはもう一度焦点を合わせた。


「…見つからない?何も?よく探したのか!」
男が声を荒げる。―― 申し訳ありません、でも無いんです!これ以上は目立った行動は危険です!受信機からは処理班の必死の声が返ってくる。
(どういうことだ?実行犯として乗り込んでいる筈の過激派らしき人間もいない。そして何も見つからない)
男は考えを次々と巡らせる。まだ何か見落としているのだろうか・・・
(私は、鋼は、ターゲットを見誤ったのか?いや、待てよ、違う、これは………!!!)
脳内を走るひとつの考え。男は顔色を変えて受信機を放り投げると、驚く兵士を尻目にトラックから飛び出した。 男は間道を走る。少年も反対側から走ってくる。息を切らせてお互い顔を見合わせ、そして押し殺した声で同時に告げた。
「「……鉄橋だ」」

それは確かにあった。鉄橋の塗装と合わせた色で、小さく。

「列車を止めろ!早く連絡を入れないか!」
この事態では混乱を招くなどとはもう言っていられなかった。一刻の猶予も無かった。
「…ダメです、恐らくもう無理です!それに・・・通じません!」
通信班が悲痛な叫びを上げる。
事態の急変に部下たちが召集された。 ごく短時間で結論は出された。鉄橋は足場が不安定で、撤去はすぐには出来そうにない、と。恐らく鉄道保安作業に紛れて設置させたのだろう。
ここからの直線距離は・・あるいは彼女なら可能かも知れない・・・男は凄腕の副官に命じた。
「中尉!あれを撃ち落せないか?」
ライフルスコープを構えてしばらくそれを見ていたホークアイが苦しそうに口を開いた。
「…大佐、起爆装置には配線が複数あって私にはどれを撃てば良いのか…それに恐らく撃つと同時に爆発が起こると思われます…」
観ると、装置からは確かに4色の色違いの配線が複雑に絡み合っていた。ダミーが複数あると考えるべきだろう。
男は唸った。専門の処理班を列車に乗り込ませて、手元に置かなかったのは全くもって判断を誤った。いや、たとえいたとしてもあの極小の装置の構造を、ここから観ただけで即座に解析できるかどうか。仮に鉄橋ごと処理しても、そこに止められなかった通過列車が突っ込んでくる可能性を否定できない。そうなるとそちらの方が犠牲者が遥かに多くなる。軍は民間列車が通過するのを承知で鉄橋ごと処理したのかと、世論に叩かれ、ますます過激派の思惑通りになるだろう…なんという狡猾さだ…男は顔を歪める。
目の前にあるのに何も出来ないのか・・・ 何てことだ!私は…こんな簡単なことが分らなかったとは…

「…おいっ、あそこにいるのは?」
その声に皆が一斉にそちらを観た。間道を見え隠れする金色の三つ編み。少年が鉄橋に向かって走っている。
「兄さん?…やめてよっ!」 「鋼の…外す気か…」
口々に叫んだそのとき、銃声が響いた。実行犯は鉄橋近くに潜んでいたのだと男は瞬時に理解した。恐らく既に軍の存在に気付いていただろうに沈黙を守っていたのは、こちらに成す術がないのが分っているからだ。彼はただ、爆発を見届けて報告するのが役目なのだ。間道を走って鉄橋に近づく少年に気付き、そのときまで誰も近づけるなという命令を「実行」すべく狙撃を仕掛けてきたのだろう。
援護しろッ―― そう言い放つと男は走り出した。我ながら無茶苦茶だと思う。司令官が何をしているのだ。ここは部下の仕事だろうに。 あの少年の替わりに行かせれば良いだけだろう?なのに何故。
地面に被弾する弾に、何度か転びそうになりながらも、鉄橋に辿り付いた少年は、器用に渡り始めた。
「…やめないか!」
追いついた男も渡り始めるが、小柄な少年ほどは身が軽くない。不安定な足場に均衡を崩す。
「ここまで来てアンタ今更何言ってんだよ!…危ないっ!…アンタこそ、足手纏いになんなよっ」
「…わかった。このくらい大丈夫だ。それより間に合うか?」
「少しでも可能性があるなら俺は諦めない!」
金色の瞳が力強く燃えるような輝きを放つ。 ―― ああ、そうか、そうだ。この眼に、私は。
男は無言のまま、大きく頷き返した。






04/09/15 初回UP
05/02/26 加筆UP





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