23   ちょっとまって       







エドワードは冬の街をのろのろと歩く。
柔らかな日差しとは裏腹に、冷え込みは厳しくて、それはまるで自分の今の心のようだと思う。
わざわざ記憶の底から引っぱり出して確かめたものは、あまりいい結果とは言い難い。
「…外は、寒いや…」
エドワードは両手で身体を抱くようにしてぶるっと震える。 寒い市中をあちこち移動して、すっかり冷えてしまった。それに風邪をこじらして体力が落ちた身体は、まだ完全には戻っていない。気分的にもひどく疲れた。
川の近くまで来ると、エドワードは暖かい店に入って休みたくなった。適当な店を捜して入り、熱い飲み物を注文する。店の中を見回すと、自分の他は、新聞を読んでいる老人、友人と談笑する女性、夫婦らしき男女など、午後の客は少ないのか、席数の半分くらいであった。穏やかだが寒い冬の午後のひとときを、この店で楽しんでいるようである。
しばらくして、テーブルに届いたのは熱々のホットチョコレート、そしてそこにはヴァニラの香りのするちいさな焼き菓子が添えられてあった。
「あの、これ、注文してないけど…」
小首を傾げながら、焼き菓子を指して訊ねると、店員は笑って答える。
「今日は寒いから焼きたての菓子をサービスだよ。美味いよ」
「あ、ありがとう」
素直に礼を言い、湯気の立つのカップを両手で持ち、こくり、こくり、と、ひと口ずつゆっくりと飲む。ちいさな焼きたての菓子をフォークで少しづつ砕いては口に含ませる。午後の太陽が、窓越しに柔らかなぬくもりを届け、エドワードはようやく人心地がついた。
ふと、窓の向こうを見やると、東方司令部の建物が遠くにある。
思えば、自分は軍属の身ではあるが、軍のことは余り好きではない。しかし、個人的には好ましいと思う人は少なくない。中佐や中尉や少尉たち、そして、素直に好意を抱けないロイではあるが、自分とロイとの間には、コンラッドという橋が出来たと思う。ロイも自分も、コンラッドを悼む心に、同じものを見出したと思っていた。いや、いまでもそれは変っていないとエドワードは思う。それなのに軍への、ひいては司令官であるロイへの、隠れた恨みを聞いてしまったようで、心地悪さが抜けきらないのだ…
(あの死んじまった人には何かあったのか…いや、そういうことは、俺にはわかんねぇけど…)
ひだまりの窓際に、ちょこんと座る小柄な三つ編みの少年が、そんなことを考えながらチョコレートをすすっているとは周りの大人は露ほども思わないのだろう。
そう、大人たちはいつだって言う。 ―― こどもは気楽でいい、羨ましいよ、と。


店を出たエドワードは川岸の遊歩道を歩いていた。
少し気持ちを変えて、それから宿に戻ろう。そうでないとアイツは俺の顔で隠しごとを見破ってしまうかもしれない。
水際まで降りられる石段を辿り、エドワードは川面を眺める。風もなく静かな細波がゆうらゆらと揺れる。白い冬の水鳥が数羽で水面ぎりぎりまで降りては飛び上がっていく。ぱしゃんと小さな飛沫が近くで上がって水面に落ちるさまを、エドワードは目で追っていた。

「アル」
宿に戻ったエドワードは弟の名を呼んだ。
「…お帰り、寒かったでしょ。疲れなかった?」
穏やかで柔らかな声の返事。温厚だが鋭敏さも併せ持つ弟は敢えてどこへ行ってきたのとかは訊ねない。
「ああ、俺、ちょっと疲れたから少し寝る。用があったら起こしてくれ」
エドワードはそれだけ言うとベッドに潜り込んでしまった。



―― いつものように、ロイはホークアイが運び込む書類の束に埋もれていた。顔を書類に向けたまま無表情でいる、そんな上官の心中を、素早く察した副官は、簡潔に答える。
「いいえ、分らなくなっています」
「…もう行っていいぞ」
「失礼します」
一礼をして部屋を出ると、後ろ手で閉めた扉に、寄りかかるようにして、彼女は目を軽く伏せる。だがそれは一瞬の事で、顔を上げた時はもういつもの冷徹な副官に戻っていた。ホークアイはコートを手にすると司令室を静かに出て行った。残った者はそれを承知のように、黙って自分の仕事を続ける。
家に戻ったホークアイはコートを脱ぐとストーブのスイッチを押した。今日は寒い。それに一晩空けた部屋は冷え切っている。連れて帰ったハヤテ号も、腹を空かせているのか、食事をねだるように足元に纏わりつく。愛犬に食事を与え、着替えを済ませると、コンロにやかんをかけて湯が沸くまでの間、彼女は持ち帰った書類を読み始めた。
『…逮捕件数 ××件  逮捕総数 ××名  対象 ××名  検挙 …の今後の予定…は… 』
そこまで読んだ時、やかんが沸騰を知らせる音を鳴らした。ホークアイは立ち上がるとカップに砕いたチョコレートをたっぷり入れて湯を注ぐ。独特の甘い香りが長い昨日を埋め合わせ、疲れた彼女を暖かくほぐしていった。そしてふたたび書類に目を落とす。
ホークアイが書類を見ながら思い起こしていたのはあの日の少年たち。突然元気よくやって来たかと思うと、わずかの間に失意の表情で項垂れて帰っていった。ハボックによるとあれから体調を悪くして寝込んでいたという。…私が様子をみてあげられたら良かったのだけれど。
「…ねえ、ハヤテ、エドワード君は、この街に長く居過ぎたのかもしれないわ…」
頭を撫でられた愛犬は、足元でくうんと鳴いて尻尾を振った。


「…」
エドワードは目を覚ました。カーテン越しの明るさと聞こえる外の喧騒が時間の経過を教える。あのまま目を覚まさずに、一晩寝入ってしまったらしい。やはり昨日は疲れていたのだろうか、でも今は気分は良い。
枕もとの時計を探ると、もう昼をとうに過ぎてしまっている。弟の姿はなく、部屋を見回すとテーブルにメモが置いてあった。
『図書館に行ってきます。帰りは買い物をしてくるよ、だからゆっくり寝てていいよ』
ぐっすりと眠る自分を起こすまいと、ひとりで出て行ったのか、あいつらしいや…
エドワードは着替えを始めた。乱雑に脱ぎ捨てた服には皺が出来ていて、マズイ、これではまた弟に怒られる、と生活能力に乏しい兄は、あちこちに手を差し入れて少しでも伸ばそうとする。
赤いコートに手を入れた時、ポケットの底で何かが触れた。見ると、くちゃりと小さく畳まれた紙片だった。
「何だろ ……あっ」
それは注文した手帳の引換書。あの日からずっとポケットに入れたままだったのか。いけねぇ、じいさんのことや寝込んだりしていてすっかり忘れてしまってら。悩んだ末に思い切って買ってしまった物なのに。支払いは済んでるけど、もうとっくに出来上がってるよな。そうだ、アルが戻ってくる前に、早く引き取りに行かなくちゃ。


冬の飾りつけをした様々な店が軒を連ねる、大通りでも一番賑わう場所。エドワードは真っ直ぐにその店へと向かう。
しかし店の前に立つとやはり緊張する。あ〜あ、俺って結構思い切りが悪いのかもしれないぜ…苦笑しながら少年は扉をふたたび押した。

出来上がった手帳は、素人目に見ても、良い出来栄えだった。見本品以上に艶やかで。エドワードは手にとると、そっと開いてみる。差し替え出来る上質紙の頁は、滑らかで真新しい感触が生身の手に伝わる。そして革に精緻に入れられたロイの名前を確かめる。
Roy Mustang、品の良い装飾字体がコンラッドの筆跡を思い出させた。が、その美しく刻まれた名前を眺めていると、昨日のことがふと胸に浮ぶ。 …でも、だからといって俺がどうにかできるものじゃ… 
黙って手帳を手にするエドワードの傍らで、店員が丁寧に説明を始めた。先日、一人でやって来て、高価な手帳を注文し、その場で全額を支払った、この利発そうな小柄な少年を、店は良家の上客だと見なしたらしい。
「…あの、坊ちゃん、贈り物としてお包みしていいですか」
「え」
贈り物。手帳は、お礼かつ代替品としては考えていたが、そうは考えてはいなかった。でもそういやそうか。エドワードは店員に言われるままにこくりと頷いた。
手帳は天鵞絨を敷いた薄い木製の箱に入れられると、この上なく立派なものに見えて、エドワードは誇らしいような、気恥ずかしいような気分になった。まったく、同じ品だからって注文したのは自分でも可笑しいかもしれない…
「リボンは掛けますか?」
金色の瞳の表情を変えながら作業の手元を覗き込むこの少年に、店員は柔らかく微笑んで尋ねる。
― は?今度はリボン?冗談じゃねぇ、リボンなんかを付けられたらいくらなんでも渡せねぇよ。俺は女の子じゃねぇよ。エドワードは慌てて手を振るとそれを断った。
最後に、店の封蝋が包装に施されると、それは大人びた落ち着いた様相となった。少し仰々しい気もするが、リボンよりはいいだろう。エドワードはこれなら大丈夫かと安堵する。
小さい包みを手に、エドワードは行きよりは軽い足取りで店を出た。
(手帳を引き取るだけなのに、随分時間が掛かってしまったな。ま、いいか、後は渡すだけだしよ…)
…あれ?…渡すって、あの大佐に一体なんと言って渡せば良いんだ… どこで? 司令部で?理由、は、資料のお礼?は、いいとして、どんな顔をして渡せば… いつ… あっ、ちょ、待…
第一、この前、ロイの顔を見るのに、いや司令部に行くことすら、おおいに悩んで難儀をしていた自分ではないか…

手帳を引き取るという仕事を終えて既に安堵するエドワードは、更にその先にもっと大きな仕事があるということに、今やっと気付いたのだった。







*04/12/30 UP





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