29   情けない       












1時間遅れで列車はイーストシティに到着した。
ちょうど夕方から夜にかけてのラッシュアワーと重なり、駅構内は混雑している。その喧騒にいささかうんざりしながらも、見慣れた東部の光景にロイはふと笑みを漏らした。帰ってきたのだという実感がこみ上げ、疲れた体と心を軽くした。たったの2日間、中央に赴いていただけなのに、ひどく疲れ、そして随分長かったように思う。
彼は帽子を整えようと、歩きながらつばを指先で軽く摘んだ。するとちょうどそのつば先の向こうの人混みの中に、副官が立っているのが目に入った。
「お帰りなさいませ」
予定通りの列車到着時刻からずっと待っていただろうに、微笑みながら声をかける美貌の副官に、男は無言で頷きだけを返すと、荷物を預けて車に乗り込んだ。ドアを閉めた途端、夕刻の喧騒は遮断され、男は静かな車内のシートに深々と腰を落とした。緩やかな振動とともに車は動き出す。
「…中央はどうだったのかとは訊かないのか?」
黙って車のハンドルを握る副官に、男は背後から皮肉交じりに問い掛ける。ミラーに映る副官の目元が2、3度軽く瞬いたが、表情は変わらない。彼女もまたミラーで上官の表情を窺っているのだろう。
「…お顔を見れば分ります。それにこういう問いかけをなさること自体が既に答えになっています」
淡々と返す副官に、男はぐうの音も出ない。それでも次第に口元が緩み始め、終いにはくすくすと笑い出す。
「中尉、全く君は…。既にお見通しという訳か…ふふ、妙に気を使われるより助かるよ」
この冷徹な副官は、この美しい同志は、私以上に私を知っているのかもしれない。彼女はいつも迷いが無い。副官は手足というが、私には羅針盤のようのものだ。実際、これがいなければ今の私は無かったかもしれない―― そう考えながらロイは笑いつづける。
「…いつまで笑っていらっしゃるのです。自分のことは自分が一番分らないのですよ?」
おや、読心術まであったのか…。  男は笑うのを堪え、普段の表情に戻ると、2日間の報告を聞き始めた。
「特に変わった事はありませんでしたが、皆、ご命令通りに」
そうか、と男は返す。しかし、ミラーの中の副官は、やや険しい顔付きになると、まるで弟を叱るように告げた。
「ついでに申し上げるなら、皆、がっかり、いえ、怒っているかもしれません。…何故、あんなことを」


男が司令室に入ると、残っていた部下たちが、敬礼しながらお帰りなさいと迎える。だが、その口調は何時に無くおざなりで、白けたような冷ややかな含みがあった。
男は冷たい視線の中で、コーヒーを飲み終えると、部下たちに告げた。
「よし、執務室に来い。お前たちの言い分を聞こう…」
男の前に並んだ彼らは、不満を隠し切れない様子だ。すると少尉が進み出る。
「あの、大佐。今更ですが俺たちを信用してないんッスか?…いいですか、俺らは軍人だから部下だから、上官のアンタの命令に従うのが仕事です。文句はありません。でも!…あの捜査で俺たち長期間現場で苦労してきたんです。知ってるでしょう。…なのにアンタは肝心の調書を俺たちにまで隠してしまって、存在しないことにしてしまっている。いや、元よりそんな調書は取らなかったと。あれは、一部の初動調書は憲兵本部で取らせて、あとは司令部勾留で振り分けたものです。目的自体が表に出せないのは承知です!でもそれは俺たち以外の部外者には、です。ここまで関わらせておきながら…それでアンタの留守中はひたすら表向きを読み返せと?思い出したことを全て報告しろと?…さっぱり訳分りませんや!」
普段は飄々とした青年は、今は煙草を咥えることもせず、上官をアンタと呼んで一気に捲し立てた。他の部下たちも上官を睨みつけながら、少尉の言葉に頷いている。ゆゆしき事態だ。
少尉の怒りを大人しく聞いていた男は、ゆっくりとした視線で部下たちを見回すと口を開いた。
「…それで?どうだ?…何か思い出したのか?新たに気づいたことは無いのか?」
「大佐!アンタ!」
部下は上官に掴みかからんばかりに激昂している。これはさすがにまずいと他の連中が慌てて少尉を押さえ込んだ。その傍らで、副官までが嘆息交じりの呆れ顔を男に向ける。
「大佐、それでは説明になっていません…」
男は副官の言葉など一蹴して続ける。
「私は報告は無いかと訊いたのだが?誰も何も無いのか?…おい!お前達、それでも俺の部下なのか?!」



男の恫喝に部下たちは、はっとしたように居を整え、真っ直ぐに上官を見直した。先ほどまでの不穏な空気は消え、新たな緊張感が場を包む。今度はもう一人の少尉が口を開いた。
「殆んどの奴は手を出したことにびびってます。だからこちらの提示にもすんなり応じてます。下手すれば一生モンですから…。だけど俺が引っ掛かるっていうか、その…」
「構わん、何でも報告しろと言っただろう?」
男が促す。
「俺が思うには奴らには4種類あるように思います。一つはこの話を聞き付けて自己の利益を図ろうとした単独犯。一つは新規参入を狙った連中。一つは既存。最後は攪乱を狙った連中」
「…尤も今回引っ掛かったのは三下ばかりですけどね・・」
長身の少尉が付け足す。
「単独犯は普通の奴が殆んどです。この不景気で出入商になりたい商売人とかですわ。こいつらは収賄未遂程度で手を打ってやりました」
「成る程。では、そこから辿っていくのが目的で、これからだ…」
「それは分ってますが…」
「だから何も知らない第三者の調書を読むことも必要なんだ。我々の視点が変わるだろうが」


「…銀行を使った奴が居るはずなんです。捜査用に痕跡がありました。普通は跡を残したくないから現取するもんです。連続した、あるいは固定の取引でもない限り現取りですからね?そんなの素人の俺らにだって分りきったことでさぁ」
「うーん、敢えて跡を残す目的を考えたんですけどね…」
どうも分らないというように少尉が首を振る、いつの間にかもう普段のように煙草を咥えている。
跡を残す、か。部下の言葉にロイは考え込んだ。そうだ、引っ掛かった数は多かったが、多分殆んどは彼らの言う通り、困って手を出したわりと普通の人間だ。素人は考えが浅いが、やはりアシが付かないようと位は考えるだろう。それでも洗わない訳にもいくまい…男の思考を読んだかのように副官が進言する。
「いっそ対象の口座を一時停止しますか?しかしそれだと後で厄介が残るかと」
軍の命令でそこまでさせるとさすがに目立つだろう。
「いや、それだと家族で生活に困るものが出てくるだろう。…急な現金を必要とする者もいるだろうし」
ロイはふと、旅の空にいるはずの少年を思い出して言葉を切った。今頃何処にどうしているのか。
以前は決まったように寄越していた定期連絡が、最近は疎らで、それも交換を通しての伝言だったり、そう、この前は郵送の簡単な報告書に添えられているごく短い用件のみの手紙だった。
…あれでもきっと彼なりの精一杯の私への妥協なのだろう。本当は私の下から一目散に去ってしまいたいのではないか。目的の為に、弟の為に、堪えているに過ぎないのだ。
それでも見えない線が引かれたのは明らかで。いや、線を引いたのはこの私だ。部下たちだって私が彼らを利用したのは分っている。だから彼らのことは話題を避けているのだろう。


「さっきはどうなることかと思ったわ。あなたらしくも無いのね、ハボック?」
はい、と中尉が休憩室で少尉にコーヒーの紙コップを渡してやる。すんません、と少尉は、礼とも詫びともつかぬ曖昧な言葉を返して頭を下げた。
「大佐には考えがあるって分っているんですが…。なかなか先が見えてこないのでつい。中尉の方はどうなんスか。分ったことでも?」
手の中で紙コップを揺すりながら、ハボックは言葉を落とす。中尉も同じように手の中の黒い液体を見ている。
「まあね、仕方ないわ。あんまり大きく動けないでしょ?」
声を落とし気味の会話を交わし、コーヒーをぐいっと飲み干すと少尉は更に呟く。
「それから、エドたちのことですが、すっかり姿を見せなくなって…まだこの街にいるんですかね?それとも旅でしたっけ?ねえ、中尉、あいつ、気付いてんですかね?あの時、司令部に突然来た後のあいつも泣きそうな顔をしていた。寝込んでた時のあいつなんて、普段以上に小さく見えて、痛々しい位だった。我ながら酷いことをしていると思いますや、こんな子どもを、ってね。気付いてないと良いんですけど…」
「ええ、そうね」
彼女は、最近連絡の途絶えがちな少年と、少年たちのことを以前ほど口に出さない上官から、もしやとも思う。だからといって、この状況には自分は慮るしか出来ない。 …私は、ロイ=マスタングの副官なのだから。
「さ〜て、行きますか」
仕事に戻ろうと立ち上がった二人の窓越しに、外を上官が足早に歩いて行く姿が見えた。黒い髪と黒いコートが夜に溶け込んで、二人は思わず顔を見合わせる。副官は出かける予定など聞いてはいなかった。夕刻、中央から戻ったばかりで、今日は報告を聞いて終わりのはずなのだが。
「…あれ、大佐、お帰りですか?それとも今頃からお出かけですか?…中尉?」
男はひっそりと闇に身を沈めるかのようで、普段の帰宅には見えなかったのだろう。同じ疑問を抱いている部下の問いかけに、彼女は無難な返答をする。
「多分、お疲れになったので、一足先にお帰りでしょう」
(私にも分らないわ…でも、方向が?)
司令部を出た男は、市街地とは別の方向に向かっていた。そこには大きな深い影が夜にそびえていた。











05/02/20 UP





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