本  能         ACT 1. 不 審 者







「・・・ひどいわね」
「まったくっす」
「でも規模の割には、被害が少なくて、死者がいないらしいのが救いだがなぁ」
別個に指揮を取っていたホークアイ中尉とハボック、ブレタの両少尉たちは、焼け焦げた建物が居並ぶ通りで、明け方近くになってようやく顔を合わせた。
さすがにこの状況では、煙草を燻らすのは不謹慎だと心得えているのか、ハボック少尉は現場にしゃがみ込み、煙草の煙代わりに盛大な溜息を吐き出した。
「・・・・・・・・っ・・・」
他の二人も言葉少なく、部下たちに指示を出す。
「はぁ、あー、もう、疲れました・・・」
傍にいた憲兵の一人も、煤だらけの顔を軍服で拭いながらぼそりと漏らす。他の者たちも同じだ。皆、疲労の色が濃い。
瓦礫と焦げた建物と水浸しの家屋、商店、その他。それらの一部からはまだ僅かにくすぶりが立ち上がっている。そこからは火事特有のきな臭さが鼻をつく。
初期はイーストシティ市当局の消火隊と憲兵隊の出動。そして大規模火災をへと広がるのが危惧され、当然ながら軍にも出動要請があった。深夜階下で鳴った電話はホークアイからのものだった。報告と要請を聞いた男は、瞬時にして軍司令官に戻った。それまで頭を占めていたことを忘れたかのように。即座に対テロへの臨戦体制をしいた。出火の原因が単なる失火なのか、それとも反体制派の破壊活動の為の故意によるものかどうかが判らないからだ。破壊活動ならば、あるいはこれは陽動だということも考えられる。ロイは直ちに市中に戒厳令を出した。
深夜の炎は、イーストシティ中心部の建物をいくつか、そして隣接するホテルをいくつか、そしてさらにそれらに続く住宅街の一部を焼いて鎮火したのだった。彼らの言うように、規模の割には全焼が少ないのが幸いだった。


「――― で、被災地区の詳細は?」
男は司令部に戻った副官からの報告を受けていた。
副官の口頭の報告と、憲兵隊が把握した地域、東方司令部が把握した地域の報告書。
その中に、ロイはランドが、例の男を探っていたアパートのある地区が、含まれているのに気づいた。ランドは昨非難めいた言葉を残して帰って行き、そのまま男のアパート周辺を探っていたのに違いない。司令部には明日(つまり今日)顔を出すように言っていたのだが、未だに連絡はない。男にとっては後味の悪い帰り方をしていったランドのことはさすがに気にかかる。あのランドに限ってまさかとは思うが、この火事に巻き込まれてしまってはいないだろうか。悪運強い機転の利く男だが、ロイは一抹の不安を感じていた。
「…中尉」
「何でしょうか、大佐」
「ウォルサザーランド少佐を知っているな」
「ええ、もちろん。以前から存じ上げていますし。それに鉄橋でエドワード君と大佐を助けのは少佐ですから。」
「今まであまり表ざたにしていなかったが、少尉たちと組んで内通者協力者を洗い出すのに彼の力を借りていた。」
美貌の副官は、ランドの件は承知しているのだが、男は低めの声で確認するかのようにそう告げた。
「それは知っていますが、そのために、わざわざ病気療養という名目で無期限長期休暇を取らせたのでしょう?私見としては、あの屈強の少佐が病気とは少々無理があるようですが?」
「私は捜査にランドを加えると言う話は現場担当の少尉たちには告げたが、裏事情の詳細は改めて教えたわけでない。・・・それに厚生部に提出した療養申請書類は私の捏造だった。少尉たちは現場で行動をともにしていたので知っていたかもしれん。君は私の文書偽造を知っていたのか。さすが、ホークアイ中尉だな」
ふ、と吐息をつきながらも、司令官は揶揄とも皮肉とも付かぬ言葉を落とした。
それまで並んで二人は立っていたのだが、それをきっかけに中尉は踵をかえし、男のほうへ向き合った。
「大佐、ご冗談はお止めください。それについては、セントラルのヒューズ中佐が、以前、私に問い合わせをされてきました。仕事のついでで、大佐のお留守のときでしたが。『・・・なぁ、ロイは、マスタングは、最近大人しすぎる。何か内密な捜査でも企んでいるのではないか。いや、中尉はロイの副官だから、たとえ知っていても俺には言えんかもしれない。だからこれは俺の独り言だと思って聞いてくれ。―――あぁ、実はな、たまたま情報部に紛れてきた、長期療養者の書類には筆跡が見覚えあってな。長期休暇申請願いが出されたのが、あの列車テロ事件の直後なんだよな。東方指令本部の所属員でなくて、東部管轄の支所の人員の申請に、わざわざロイらしき筆跡のサインがあった。字体は少々変えるくらいはしたようだが。筆跡を変えたつもりでも人間は下の筆跡からそうかけ離れたものは造れない習性があるんだよ。癖と言うか。一種の簡単な暗号を作るように。ロイが司令官会議の報告書提出の為にセントラルに来ただろう?ちょうどおれの手元に、あいつの決済が抜けた古い書類があったので、それとなくサインさせて見比べてみたらやはりロイが作成したものだった。これはロイが単独で内容を偽造作成した書類だろう?しかも療養先の病院は何故か軍関係の病院でなくて民間病院だったし。ロイの決済サインは何処となく適当だった。こういう書類は形式がいちおう整っていたら誰も不審に思わないもんだよ。ロイはそれを逆手に取ったんだよ。・・・まったく、俺は親友に嘘を付かれたぜ。…中尉、俺はロイの親友たりえないのだろうか?いやすまん。愚痴になってしまったか』、と。半分冗談だとは思いますが、溜息混じりにそう仰ってました。私はあのランド少佐を、どうやって自由に動かせるようにしたのか少し不思議でした。でもヒューズ中佐の電話でそれが分かりました」
更にホークアイは続ける。
「そうしてランド少佐を一介の市井の男として潜り込ませた。少尉たちは言っていましたよ。ランド少佐は辛辣な物言いをするときがあるが機転と一般人のような言動と行動力は素晴らしいと。なのに少佐はある日から姿を消してしまった・・・。大佐の指示で動いているのだろうと私たちは敢えて大佐には訊きませんでしたが、それは少尉たちには不満でもあったようです。ハボック少尉が、大佐に噛み付いたときの事を、覚えていらっしゃいますか?」
ああ、と男は頷いた。
「そのランドだが、昨夜私を訪ねてきて報告を受けた。彼の話によると川に流れた男が未だ行方不明だ。我々が巻いた餌をまだ持っているかもしれん。なにせこの捜査は、表向きは軍出入業者間の競争による単純な買収、贈賄事件ということになっているからな。調書はそうなっているし、容疑者だってそれで済ませたいさ。さて、これからどうするかな・・・」
「…大佐!それは・・・!」
ホークアイは上官の意味することを即座に理解し、唇を噛んだ。
「なんとしてもそれは取り戻さねばなりません。餌の全てが機密事項で無いとしても、中央に洩れると大佐の足を引っ張る連連中のとっては逆に格好の餌になってしまいます。こちらの餌は向こうの餌にもなりうるんですよ。両刃の剣のようなものです。今更申し上げるまでもなくリスクはご承知でしょうが、下手をすると国家反逆罪に問われてしまいます。今まで餌にかかった連中とは公式ではなくとも事実上の司法取引がほぼ成立していますが、バックに何物が控えているのかまだ判っていないものもいますから。大佐、用心にも用心を重ねて言動にはくれぐれもご注意ください!」
男は黙って頷いた。そのとおりだ。ここでミスをやらかしたら自分だけでなく部下たちも裁かれることになろう。 断じてそれはさせない、部下は守ってやらなくては。

「ところで、中尉」
男は話を変えた。
「焼け出されたもの、避難したもの、負傷者等のリストが必要だ。身元確認をする必要がある。 失火の可能性が高いが、テロの可能性も否定は出来ない。特に繁華街とホテル街は潜伏しやすい場所だ。万が一を考えてそれらの周辺の宿泊者の身元を確認しなければならない。そういうものたちの身分証明の確認作業を、兵士達にさせて、りストを作らせろ。まずはそれが第一優先だ。それ以外の復旧作業は、当局の消火隊で可能だろう」
「はい、わかりました」
副官は直ぐに部下を呼んで、無線室に指示を出しに行った。その後姿を見送りながら椅子に深く背中を預け、男は疲れたように息をついた。次から次へとこうも事が起こるものだ。昨日も長い一日だったというのに。昨日仮眠を取っておいたのは正解だったな。ランドは、きっと逃げ延びてその内やってくるだろう、男はそう自分に言い聞かせた。
それより副官の言うことが、当初からの最大の懸念事項でリスクであった。成功すれば軍部での地位、階級が一気に上がる。准将、少将も十分手が届く。目的への階段の入口に立てる。歴代の東部の司令官が成し遂げられなかった根絶を果たすのだから。そんなことを考えながら報告書に目を通していた。
「おや、これは…」
男は被災地区の中に知った名前を見つけて瞠目した。それは昨日立ち寄った例の銀行だった。あの役付きからの話を思い出し、そして夢を思い出した。
「焔の錬金術師の膝元で大火とは。皮肉なもんだ。くだらないネタだが、中央の無能連中を喜ばせそうだ。それにこの銀行といい、夢といい・・・まったく、奇妙な偶然の一致があるものだな」
金融街の一部もボヤを被ってしまった。あの例の銀行はセキュリティチェックのため貸し金庫を一部閉鎖し、金庫本体を一時顧客に返還しているしい。
あそこにはかれの資料が保管してあるはずだ。無事なのか。錬金術師にとって生涯をかける研究。その成果や資料実験結果が束ねて保管してあるらしい。もう直ぐ査定時期が始まるが彼はどうするすもりなのか。頭の中に数件ネタはストックしていると日ごろから言っていた。少年はまたもや査定等級Sクラスで資格更新するのだろう。
一方ロイは、セントラルから打診された査定役も断りきれていない。しかし、今の東部の状況ではますますす難しいかと思われる。できれば査定をこなしつつ、中央に探りを入れたいと言う魂胆はあるものの、敵味方が分からない幹部連中にどうもぐればよいのか?
「結局、今、私が頼れるのはのあの御仁しかいないだろうか」
ロイはあの幹部を、無能幹部の中で珍しく良識と見識を兼ね備えている人物と見た。お互い好意を抱いているのも都合がよい。
(この今の状況では忙しいが、査定役を受けないわけにはいけないだろう。あの幹部の為でもあり、何より自分の為でもあるのだから。そして約束を果たすことになるだろうから)
男が思考をめぐらせていると、副官が報告を持ってきた。
「大佐、負傷者は一般市民がほとんどで何れも軽症です。火傷を負って病院に収容されているものも要るのですが、 ですが、そのなかに身元の分からないものが数名いると兵士達が言っているようです。うちひとりは、どうやら旅行者らしく、寝間着のまま焼きだされたようで、あとは荷物が一つでした。軽い火傷を負っていて現在病院に収容されてます。身元を確認できるものを見せて欲しい、といったのですが、応じなかったようです。口を噤んでいるので、言葉が喋れないのではないかと思ったのですが、どうもそうでもないようで・・・私物は現状のまま兵士達に保管させてます。不審人物として医療収監所に移すように指示を出しました。あとはいかがいたしますか?」
副官の報告を聞いて、男はしばし考える。こんな時に不謹慎かも知れないが、普通は不審者なら、そういうそぶりは見せないようにするものだが、不審者らしからぬ行動にちょっと興味がわいた。
「・・・・私が取調べをしてみよう」


医療収監所の一室にその不審者が収容されている。ロイは鍵を受け取ると部屋に入り、人払いをした。当の本人は眠っているのか布団を頭から被り、動かない。時折寝息が聞こえるのから察するに、そうひどい傷ではないのだろう。 毛布のふくらみ加減から、小柄な人物と見て取れた。ロイは用心深く近付き傍らの椅子に腰掛けて目を覚ますのを根気よく待った。 小一時間も経った頃、布団のふくらみが緩く動いて不審者が寝返りを打った。そのとき布団からはみ出た金髪に、ロイは見覚えがあった。
(まさか)
はやる胸を抑えて、布団をそっと持ち上げる。そこには。まきれもない鋼の錬金術師のエドワード=エルリックが横たわっていた。
「…鋼の!?エドワード…!」
ロイの声は上ずっていた。









05 10/10 UP





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