4   図 書 館       PROLOGUE










ロイが兄弟を連れてセントラルに向かってから半日が過ぎた。
元々この時期は、ほぼ毎年、国家錬金術師としてセントラルに赴き、 試験に立ち会うことになっていた。 そう、時にはエドワードのような推薦した人材を連れて。 そしていま、東方指令部の面々は、のんびりした空気に包まれていた。 ロイは決して小うるさい上司ではないが、それでも上司がいないと緩んでしまうのは、部下の本能とも言えた。
そんな日の午後、1人の来客があった。 物静かな初老の婦人がロイを訪ねてきたのだ。
「ロイ・マスタング大佐はただ今出張しておりますが…」
初めて訪れた司令部に、不安そうな顔を見せる婦人にホークアイが柔らかく応対する。 主人はマスタングさんと懇意にして頂いておりました、とサラ・パウルと名乗るその婦人は告げた。 パウル夫人の話はこうだった。
民間の研究者として、ロイと交流のあった夫であるパウル氏が亡くなった。自分は錬金術は分らないし、かといって夫の長年の努力をこのまま朽ちさせるには忍びない。そう悩んでいたら夫の手紙が出てきた。 氏が今まで研究していた実験記録、資料、蔵書の全てを譲りたいと言うのだ。
そしてそれが記された氏の手紙をホークアイに渡した。
「わかりました。明日、私はマスタングと合流する予定ですので、これをお預かりします」



「うおぉー、セントラルって、でっけぇやー!」
イーストシティよりはるかに大きな街並みと、溢れ返る人や車に、エドワードは驚嘆の声を上げた。
「兄さん、田舎者って思われるよ」
あまり品の良からぬ言葉遣いで驚きを表現するエドワード、弟がそんな兄の服をそっと引っ張る。
やはり子まだどもなのだな、早めにセントラル入りして正解だったか、と兄弟を見て男は苦笑する。 いやなによりまず、試験に受からねば話にならないが、この調子なら心配はあるまい。なかなかの逸材だと…
ロイが己の野心に耽っていると、いきなりばん!と背中を叩かれる。
「…っ!」
振り向くと、男よりやや背の高い男が、満面の笑みで立っていた。男を認めたロイも破顔する。 背の高い男は、あはは、と屈託なく笑いながら兄弟の方を見ている。二人は男の視線に気付くとこちらを見る。
「…なんだよ、アンタ。じろじろ見やがって」
全身の毛を逆立てるようにエドワードは容赦無い。…まったくこの子は。
「紹介しよう。彼はマース・ヒューズ中佐。私の友人だ」
「おお、君がエドワードでこっちはアルフォンスかい。まー、よろしくな」
鎧姿に驚きもせず、ぶんぶんと手を振り一方的に握手をされた。なんだこいつは。…アホなのか。
借りた車を駅舎の脇につけると、ヒューズはエドワードのトランクをほいっと持ち上げる。慌てた少年が鞄を自分で持とうとするとあっさりとこう言う。重い荷物を持つのは大人の仕事だ、遠慮すんな、任しとけ。続けて少年も、ほいっと車に押し込まれ、 今朝は早くて疲れなかったかい、腹減っただろ、車を運転しながらヒューズは次々と矢継ぎ早に話し掛ける。
はじめはヒューズの馴れ馴れしさに、エドワードは、やや引き気味だったが、いやな感じはしない。 おおらかな笑顔に、ぽつぽつとついつられて喋ってしまう。 アルフォンスなどは楽しそうにしている。 これはどうも男とはまた違うタイプらしい。 軍関係の宿泊施設に彼らを送ると、じゃ、またな、と手を振りながらヒューズは帰っていった。
「なにあれ…大佐の友人とは思えねー」
目を丸くしてエドワードがぼそっと呟く。
「ほう、心外だな。君は私のことをどういう人間だと思ってるんだね」
憮然としながら皮肉を匂わせ、ん?と顔を覗き込むと、意外にもエドワードは、視線をついと逸らしたのだった。てっきり噛み付いてくると思ったのだが…子どもの心理は分らない。



「ひゃー、すっげぇ本の量!」
「兄さん、こっち見て!ホラ、これ!」
「うぉー、これ、読みたかった研究書、全巻揃ってる!」
まったく今日は『うぉー』と『ひゃー』ばっかりだな、と男はまた苦笑した。 宿舎に荷物を置くなり、図書館に行きたい、とせがまれたのである。 イーストシティではまだ遠慮をしていたらしい。
軍関係の図書館はまだ閲覧不可、国立中央図書館は遠いし、仕方なく一番近い図書館に連れてきたのだ。
小規模な図書館であったが、それでも本の量は彼らを興奮させるには十分だったらしい。
「おいおい、君たちは図書館に行ったことはないのかね」
からかい混じりに訊ねると、いとも素直に口を揃えての返事が返ってきた。
「ない。リゼンブールには図書館なんてなかったから。家にあった本と師匠んちの本を読んでた」
男が目を見張る。それは驚きであった。師匠の元で学んだとはいうが、半年ばかりの間だとも聞いた。 錬金術の修得に豊富な知識とその実践は絶対必要不可欠なものだ。 ロイは1年前を、彼らの家にあった本を思い出してみた。 相当な量であったが、それでも十分ではなかっただろう。 だったらこの兄弟は驚異的な才能と努力を以って錬金術を身につけたといえる。 さらに訊ねようとしたが、既に本の世界に埋没してしまって、こちらの声はもう聞こえないらしい。 たいした集中力である。…ほう、もしかして、これは…内奥から湧き上がる高揚感。

翌日の夕方、ホークアイが合流した。宿舎の男の部屋で、副官は次々と書類を見せて指示を仰ぐ。
「大佐、明日セントラルに提出する書類が完成しました。これです。それから、処理済の件と、次に処理していただくもののリストを…」
澱みなく言葉を続ける副官。
「その、中尉、君はここで私に仕事をしろというのかね」
「いえ、ざっとでも内容を把握していただいたほうが、お戻りになってからの効率が良いかと」
きびきびと言葉を続けるホークアイを、エドワードとアルフォンスは好感を持って見ていた。自分たちの母とは全く違う女性。…へー、こういう女のひともいるのか。かっこいいいよね、優しいし。…おう。
上官への業務報告が終わると、彼女は二人のほうを向いて優しく微笑みながら言った。
「いよいよ明日ね」



筆記試験、精神鑑定。そして最重視される実技試験。 エドワードの試験は滞りなく無事終了した。
シティに帰ってからのエドワードは、宿を自分たちで別にすると言い出した…試験も終ったし、悪いけど、疲れたから二人で気楽に休ませて欲しい、と少しばかり控えめに付け足して。今度はロイに反論の余地はなかった。1日1度は司令部に顔を出すのを条件にそれを許可してやる。そして発表までの1週間、二人はシティの一般図書館に入り浸っていた。 ロイの家にも、錬金術師として専門図書館相当の量と内容の本はあったのだが、 ロイは見せてやる、とは言わなかった。 そしてエドワードも見せてくれ、とは決して言わなかった。
やがて、エドワードの国家錬金術師の合格承認書類一式が、ロイのもとに届いた。

「おめでとう、これで君も晴れて軍の狗だ」
皮肉まじりで男が笑う。
「それと、これは私からの合格祝いだ。ここにある本や資料は今後いつでも好きなだけ読んでいい。…別館の資料室に入れてある」
ひらりと渡された書類は、例のパウル氏からの寄贈リストであった。リストには生体錬成に関する珍しいものがかなりあった。少年は思わず顔をあげて男を見た。金色の目が驚きの表情で「本当にいいの?」と訊いている。それを読み取って男は答える。
「もちろん構わないとも。君なら読めるだろう」
「でもっ…!貴重な本だろ!なぜオレに!これじゃ等価交換にならない!だってオレは!」
こんな希本を見せてもらえる為には、自分は何を差し出せばよいのかと目がいっている。
「いっただろう、合格祝いだって。こちらの本の方が君には合うと思って。リストがやっと完成したのだよ」
「…けど、こんな希書ばかり…それに合格祝いって、学校に受かった子どもじゃねぇよッ!子ども扱いすんな!」
どうもこの少年はひとから代価なしに何かを受け取ることを善しとしないのだな。…いや、合格自体が既に私への代価になっていることに気付かないのか。やはりそこはまだ子どもなのだろうか。男は考えながらそれでも敢えて少年に言う。
「…していないがね。これはすべて寄贈なのだ。だから私設図書館だとでも思えばいいだろう」
ロイの黒い瞳が見返す。
そういわれて、エドワードは、やっと、「あり、がと…」と俯きがちに小さな声を返したのだった。






04/08/14 初回UP
05/01/23 加筆UP





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