8   き っ か け       










エドワードたちが発ってから、ロイは仕事に忙殺されていた。 次から次へとやってくる書類、調査、報告、会議。司令官としての多忙な日常は、男の心の細波を押し流していた。おかげで余計なことを考えずに済んでいた。 心の細波、そう、少年のこと。何故自分は彼をこんなに気に掛けるのか…いや、あれは偶然で、些細な出来事ではないか。そんな思考を日々の向こうに押しやって目の前の責務を片付けていた。
そんな中、いつも飄々としているハボックが、真面目な顔でやって来た。背の高い金髪の若い部下は、珍しく言葉を濁しながら上司に告げる。
「大佐、先日の逮捕者の供述の中に、ちょっと引っかかるものがありまして。俺の気のせいかも知れませんが…」
普段は気の良い使いやすい部下だが、軍人の勘もちゃんと持ち合わせている。尤も、そうでなければ自分の直属には置くことも無い。わざわざ上申に来る彼の言葉には拾い物があるかもしれない。男は書類にサインする手を手を止めると、執務机の前に立つ部下の顔を見上げた。
「なんだ、あれはチンピラの小競り合いではなかったのか。…よし、詳しく話せ」

過日、深夜、市街で銃で交戦している者たちがいると通報があり、憲兵隊と共に、数名を逮捕拘束した。
対立する地回りの抗争だったのだが、その中に、かねてから男が密かに探していた過激派幹部に接触した可能性のある者がいるという。――たかが小規模な地回りの組同志の、お互いのシマを廻っての争い。良くあることなので取り調べも簡単に済ませてさっさと立件してお終い。のはずで、供述調書を取って、一応事実関係を追っていたのだが、その中にどの地回りでもない、身元不明の謎の人物像が浮かび上がったという訳だ。
「そいつは、相手がどういう奴なのかは全く知らないみたいなんですが、人物の特徴が似てましてね。それで」
この部下は、重そうな話の割には、司令官でもある上司の前で堂々と煙草を燻らせながら喋っている。男も今更咎めたてる気は無く、そんな些細なことよりは、と、頷きながら聞いている。普通の者なら、聞き流してしまうようなチンピラの話に部下の勘が動いた…ふむ、この話は思ったより信憑性が高そうだ。今度は男の勘がざわめいた。ロイは暫く黙って考えていたが、きつと眦を上げて告げる。
「…可能性は捨てられないな…勘付かれないよう聞き出し、調べろ。それからそいつは放って張り付いとけ」
「イエッサー」
若い金髪の長身の部下は、煙草を咥えたままぴしりと敬礼ひとつ決めると、足早に男の前から去っていった。


数日後。東方司令部は緊迫した空気に包まれていた。 過激派幹部の潜伏場所が判明したのだった。この幹部はかなり頭の切れる人物らしく、常に軍の裏をかき、探索の手を掻い潜ってきた。
ロイは有能な軍人だったが、潜伏場所を変え、なかなか尻尾を掴ませない相手に、少々焦っていた。
―― いったい君はいつまで過激派を放置しているのだ、治安の悪化を招く一方だろう、第一、軍が舐められているのだぞ、いや、これはひいては大総統閣下への侮辱…君には閣下への忠誠心は無いのかね?――
事有る毎に中央から叩かれ続けていい加減嫌気が差していた。が、それはやってきた。男が内心色めきたったのは言うまでもあるまい。

「目標を囲んで狙撃班は三手に分かれろ。死角を作るな。第1班はホークアイ中尉の指揮下に」
「全員時計を合わせろ。突入のタイミングを間違えるな。ミスは許されん」
「通信班は常に現場と現場、そして司令部を繋げ」
「目標の特徴は把握しているな。いいか、極力生きたまま捕らえろ。無傷とは言わん。ただし逃走したら殺せ」
人員が手配された。現場指揮官は次々出される命令を正確に頭に刻み込む。武器庫を開く。普段の青とは違って、土色の戦闘服を身に付けた総員は、通信機を装着すると動作確認をする。 少数の過激派を捕獲する割には、少々大袈裟に見えるかも知れない。だが、過激派の存在は、この国では、もはや無視できないものとなっていたからだ。
大陸の程中心に位置するアメストリスは歴史的にも侵略が繰り返されてきた。それはやがてこの国を軍事大国に成長させ、国家予算の大半を軍事費に突出させるようになった。国民の税負担は大きく、産業は片寄っている。そしていつの頃からか、国家の頂点の大総統は軍人出身となり、その為、軍は権力を持ち、軍人は優遇され、富める者とそうでないものの差が大きく、政府に不満を持つものは少なくない。それ故、反国家活動は多く、その中には暴力と破壊を持って反体制の確立を目指す集団が多々あった。通称、テロリスト、または過激派。国家軍隊と対極に位置する彼ら。そしてそれはひとつではない。かれらの掲げる理想の下にいくつもの過激派が存在していた。今日のターゲットは東部を主幹地域とする幹部であり、彼らを確保すれば活動は押さえ込めるはずである。
これは男の司令官としての器量にも関わっていた。前任までの司令官はことごとく翻弄されて、例えれば、尻に火がついてからのろのろと消しにいくのが精一杯だったから。
だからこそ、これが成功すれば、またひとつ足がかりが出来るではないか。これは千載一遇のチャンスだ。小者の地回りに数日張り付かせ、捜査対象を徐々に絞り、情報の真偽を探らせていた。壁に凭れて煙草を燻らせながら、ロイはその時を待っていた。目標の存在確認報告を。偵察班からの無線を。そう、出動の時を。

―― 2日ほど前。その報告を受け取った時、ロイは目を剥いた。悔しさで思わず報告を持つ手が震えたほどだ。それは市街のほぼ中心、多数の有名企業も入っているオフィスビルの一角に目標は潜伏していた。
これまで司令官として自分も何回か出向いたことの有る場所で、そこには軍事関係の企業がいくつか入っている。何ということだ…この一角に巣を張られていたとは、司令官としての面目が丸潰れではないか。いや、面目どころか軍人の資質まで問われそうだ。これでは中央から、手元に過激派を飼っていたのかと言われても仕方ない。 全くもって舐められているとしか思えない。
(灯台元暗しとはこのことか。くそっ…)
迅速に秘密裏に準備を進めながらも、その時から男は出動の時を誰よりも待っていたのだ。


「ねえ、大佐、今日は市民が少なくてよかったっスね…」
目標近くの現場、部隊は包囲網を作っていた。そしてこれから突入するというのに、隣でのんびりした口調で空を見上げながらハボックが話し掛ける。この男はいつもそうなのだ。何処まで本気か本気でないのか分らない。それでもやっていけるのは、いざ有事の際は別人かと思うほど優秀だし、第一に口煩くないマスタングの下にいたからだ。普段の態度を尊大と思う他の上官では、彼の長所は使いこなせない。そして男が返す。
「…ああ、巻き込むと軍に非難が集中するからな。いや、それ以前の問題だ」
口調は平静だが、ぎり、と唇を噛み、男はビルを見上げる。なんとしても関係のない民間人を巻き込まずに済ませたい。 幸いなことに今日は休日の午後遅くで、オフィス街は人気がなく、周辺ビルにも人は少なそうだ。近隣ビルからは退去させているし、封鎖が始まれば周辺からの目標への接触は出来ない筈だ。出入口は全て確保した。階段にも人員は配置している。訓練された精鋭の人間ばかりを選んである。彼らは気取られないようにじりじりと少しづつ包囲を縮めていった。やがて彼らは目標フロア近くに達していた。銃の触れ合う金属音や軍靴の音には細心の注意を払って、壁に身を寄せ、匍匐をしながら慎重に移動する。 緊張で銃を持つ手が汗ばむ。
「…おい、初めてか?」
訓練は積んだが実戦は初めてなのだろうか、通信機を装着した若い兵士が銃を持つ手を大きく震わせているのが目に留まり、男がちいさく声を掛ける。若い兵士は、まさか自分のすぐ傍に司令官がいるとは思わなかったのだろう。掌と額を緊張で汗びっしょりにして、黙ってこくこくと頷く。眼には僅かな怯えが見える。ああ、彼はひとを殺したことは無いのだな…
「…ま、初めて人間を撃つ時は、緊張と恐怖で小便を漏らさないようにすることだ。漏らした途端に撃たれて、あの世行きにはなりたくなかろう?小便まみれの遺体にも」
ふふんと笑いながら、黒髪の若い男に耳元でそう囁かれ、兵士は思わず声を返す。しょ、小便だって?コイツ、俺とそう歳が違わないだろうに生意気な…!
「なッ…!おまえ、なんだッ!」
男は黙って兵士の口を手で軽く塞ぐと、口元に薄笑いを浮かべ、途端に双眸を鋭く光らせた。先ほどの軽口とは別人のように怖い顔をしている。兵士は、しまった、これは上官だったのかと思ったが、何もいえずに掌の汗を服で拭った。男は耳元を抑えると、時計を見ながらそれが通信機から飛び込んでくるのを秒読みで待っている。外の監視班からの突入合図を。
「…5……2……ファイァ!」
突入班が一気に目標フロアになだれ込んだ。

「…軍かッ!!」
十数人ほどの男達が、椅子を蹴って一斉に立ち上がる。武装した軍の突入に、驚きの中にも殺気を含んだ顔が凄まじい。しかし、当然ながらこれは想定されていたのだろう、潜伏中とはいえ、向こうもそれなりの武器は揃えていたらしい。訓練されているらしく、数人が小拳銃で応戦する間を縫って、別の男が壁際に並んだキャビネットを開いた。ここは企業オフィス、普通ならば業務ファイルが並んでいる筈のそこには武器が入っている。男たちはそれを掴むと一斉に狙う。 途端、室内の明かりが落ち、それと同時に双方で銃撃戦が始まった。
「うあっ!」「…ぐェッ」 「ぎゃあっ!」
敵か味方か、あちこちから生々しい悲鳴が上がる。背中を仰け反らせた途端床に崩れ落ちる者、掠った傷口から赤黒い血を流している者、絶え間ない銃弾の発射音と薬莢の落ちる音、軍靴が何かを蹴る音、デスクに弾が当たる音、そして怒号。それらの合間に耳には指揮官の声が飛び込んでくる。 仄暗いなかで、撃ち飛ばされた書類が、そこいら中に紙吹雪のように舞い上がり、視野が遮られる。硝煙の臭いと刺激。流れ弾の何発かがガラスを割って外に飛び出した。近くと遠くでガラスが落ちる音がする。 天井の照明器具が割れ、頭上から降ってくる破片をかわしながらも、男は戦闘状況を見誤らない。実戦とは慣れが肝心で、慣れない者は目の前の状況しか見ていないものだが、ある程度経験を積むと不思議な位現場が良く見えてくるものだ。もっとも、ある経度経験を積む為にはまずその戦いを生き延びる、という絶対条件があるのだが。だから軍では、兵士達は、実戦を余り知らない司令官よりも場数を踏んだ古参の云うことを聞くことがままある。しかし、東方の司令官は実戦を、現場を重く見る人だった。司令官が現場に出るのは止めて下さい、と副官に苦言される時もあるが、敢えて現場に身を置こうとする。なので古参は誰も男を若造などと陰口を叩かない。男の指揮に統率力があるのは云うまでも無かった。
「目標を逃がすな!常にポイントを確認せよ」
応戦しながら指示を飛ばす少尉たちの声が兵士達の受信機に飛ぶ。彼も普段とはまるで別人の如く、いや、――この状況ではさすがに煙草は咥えていない、――飄々とした顔付きまで変わっている。
万全の準備と武装に拠る軍の突入に、過激派は次第に疲労の色を濃くしていった。武器は揃えているとは云え、軍と比べると丸腰にも近い状態。やがて彼らは薄暗がりの中を、倒れたデスクや棚に身を隠しながら通路を細かく移動し始めた。少しでも引き伸ばして軍の弾切れを待っているのだろう。そしてその時に逃走のチャンスを得ようとしているのだろう。この建物と周辺の地の利は過激派にあるのも事実なのだから。
(ちっ!ちょろちょろと)
小銃で応戦しながら、ロイは舌打ちした。それなりの動体視力で目標に撃ち込むのだが、ことごとく外れてしまう。いっそのこと焔を飛ばそうかとも思ったが、ここは屋内で敵味方が入り乱れて銃撃戦の真っ只中である。 この状況では、安易に焔は使えない。 タイミングを間違えれば味方を焼いてしまうかもしれない。 一瞬の判断ミスが命取りになる。ふと脇を見遣ると、先程の小便兵士が必死の形相で銃を撃っている。当然だろう。だが、場数の差がその兵士を見放したのか、前を見るのに精一杯で、脇から狙われたのに気付かないらしい。弾が兵士の服を掠め、血が流れる。ロイの傍らにも、数発の弾がかすめていった。案の上、何が起こったのか分らないのか、それとも弾が掠めたことに頭が真っ白になったのか、兵士はこの戦闘の最中、動けなくなってしまった。
「馬鹿者ッ!」
男は兵士の服を掴むと、デスクの下に転がり込んだ。一瞬バランスを崩し、肩をしたたかに床に打ち付け、銃を落とした。痛みに思わず目が眩む。
「…くっ!」
そのとき。かち、と聞き慣れた鈍い金属音が耳元で聞こえた。 男の後頭部に銃口が当たった。ご丁寧に拳銃で、後ろを取られてしまったのだ。
(…しまった!)
冷汗が滲み出る。恐怖と怒りと後悔が一度に男に溢れる。それでも脳の半分は冷静だった。目だけを動かして周りを探るが、誰も男には気付かず銃撃を続けている。若い兵士は腰を抜かしたのか、戦闘服の股間を色濃くしながら目を見開いて尻で後退りをしている。それを見た男の冷静な半脳がおもわず嘆息をついた。
…だから漏らすなと教えてやったのに…
そして脳の残り半分は、思いつく限りの罵詈雑言を自分自身に浴びせ続けた。
(くそっ、無様な!何という失態だ…)
(私はここで死ぬのか?所詮ここまでの男だったのか?!)
(滑稽なロイ=マスタング!お前が死ぬと中央の無能連中が喜ぶだろうよ…!)
だが。引鉄はすぐには引かれず、替わりに耳元でねちっこい声が笑った。
「愛しのマスタング君。やっと会えたねぇ」
くすくすと楽しげに笑う声には狂気染みたものが潜んでいて、男はその声の主が誰であるかを知った。背筋に冷汗が流れて、今度こそ本当に目の前が暗くなった。成す術は無い。

「おい!非常灯を点けて、間抜けなマスタング君の顔を部下に見せてやれ!」
そのただならぬ状況を、楽しそうに指示する声に、両者の銃撃は止まった。 薄い明りがつけられ、その中に銃口を突きつけられた男の姿が浮んだ。






04/08/31 初回UP
05/02/02 加筆UP





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